阿波葉の産地、口山の「
この写真の手前の背の低い塩ビ波板張りの建物が乾燥室である。内部の様子については以前に紹介した。このタイプの乾燥室は専売公社がひな形の設計を提供していて、圃場の面積によってどのくらいの建坪にするかなどのデータが提供されていた。
奥の背の高い建物が蒸屋である。この蒸屋についてははたして標準設計があったのかどうかはっきりしない。そもそも葉タバコの乾燥室の標準化の研究は明治30年代から始まった。そのころは刻みタバコが主流だったから当然在来種の乾燥室の研究だったが、その対象は阿波葉でななく他の産地だった。
蒸屋が造られるようになる以前は徳島では主屋の中や
2009年に入って、ベーハ小屋研究会とのコラボ遠足のときにこの建物の中を見せてもらった。
外観からわかることはまず越屋根(煙出し)がないことだ。
1枚目の遠景の写真をみるとわかるが、妻の軒下のところに換気窓が見える。そこから排気していたのではないかと思われる。
この小屋は4坪の間取りで一般的なベーハ小屋と平面設計は同じ。ただ、ベーハ小屋研究会の面々は、高さが高いようだと指摘している。
一般的なベーハ小屋は内部は6段吊り。
あとの写真と合わせて見るとわかるがこの小屋の内部は7段吊りになっている。
内部は吹き抜けなのだが、途中に梁があり、その上を歩けるようにしていたという。上のほうに葉を吊るときの足場で、山の傾斜を利用して上の階に入れる入口が作られていた。
この足場のことを「アユミ」といい、作業時には「アユミ板」という板を掛けたそうだ。「アユミ」という言葉は芝居小屋の升席に入る人が歩く板と同じだ。
壁は
建てられた年代は不明。見たところ昭和30年代は下らないだろうし戦前まで行くかもしれない。現在全国で見られるベーハ小屋の規格が作られたのは大正8年ごろとされているが、この建物は建坪や天井が高い造りがベーハ小屋と似ているので、ベーハ小屋の規格を参考に作られたのではないかという気がする。
床はなく下は土間になっている。
中央部にはかつて炉が切ってあり、室内で薪を燃やして室温を上げていた。
現在、物が置いてあって炉の跡は確認できなかったが、これをどければま炉があるのではないかとのことだった。
(2008年06月30日訪問)