大豊町の施餓鬼①

豊永駅付近の河原に施餓鬼棚が作られていた。

(高知県大豊町東土居)

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穴内地区で精霊舟の残骸の写真を撮って帰路についた。

ところがしばらく国道32号を走っていると、吉野川本流の河原に人だかりができているのが見えた。

場所は長瀞橋の少し下流、JR豊永駅の北側、時刻は19時。

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国道から見下ろすと、川辺に精霊棚が設置されている。

ん? ここでも何か行事あるのか???

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しかもカメラマンたちがたくさんいて、全員上流方向にカメラを向けている・・・。

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川にお札のようなものを流している人もいた。

おそらく地蔵流しだと思われる。

近くで写真を撮るため河原に降りてみようかと思った、その時・・・

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上流から何か来た!

精霊舟だ!!

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水先案内の小舟とやぐらを組んだ大型の舟が寄り添うように流れてくる。

提灯にはすべてロウソクが灯りゆらゆらと光っている。これが大豊の精霊舟の本来の姿なのか!!!

まさか吉野川の本流で行われているとは思わなかった。

すごく幻想的な風景! この世のものとは思えない。

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精霊舟はゆっくりと精霊棚の前まで流れてきた。川の流れをよく読んで、うまい場所に精霊棚を設置したな。

このあたりは吉野川がよどんでいる場所で、精霊舟が上流に現われてから、通り過ぎるまで30分以上かかった。

これなら河原に降りる時間もあったな・・・

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竹や紙で出来ているとはいえ、これだけ大きなものを川に流すって、現代ではなかなか難しいのではないか。四国らしいおおらかさを感じざるをえない。

この先に瀬が続くから、そこに座礁して後日残骸を回収するのか、あるいは、夕立などで流れ去って自然に朽ち果てるのか・・・

(2005年08月16日訪問)

土葬の村 (講談社現代新書 2606)

新書 – 2021/2/17
高橋 繁行 (著)
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を30年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
それは大和朝廷のあった奈良盆地の東側、茶畑が美しい山間にある。

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