八多川には現在も3ヶ所の水車小屋が残り、また、水車小屋の跡も確認できる。八多川になぜ水車が多いのかはよくわからない。地元の人の話では八多川はどんな渇水期でも水があるからだろうとのことだったが。
その水車を上流側から見ていきたい。
聞き込みで確認できた最上流の水車小屋は、犬飼農村舞台のすぐ近く、北内橋の下あたりにあった「コナヤ」と呼ばれる水車小屋である。
数十年前にはもうなくなっていたそうだ。
推定だが、写真中央の波トタン葺きの小屋のあたりにあったのではないかと思われる。あるいはこの小屋が水車小屋そのものの可能性もある。
この写真をよ~く見て欲しい。
気付いたであろうか。搗き臼が水盤として残されている。
ここにも!
つまり少なくとも搗き臼が2つの水車小屋だったようだ。
このお宅で話を聞きたかったが残念ながらお留守だった。しかたないので河道側から近づいてみた。
小屋は基礎が自然石を並べただけの古い造り、終戦後くらいは行くだろうと思われる。水車小屋があったという年代と合致はしている。
だがよく見ると、小屋下の石垣がほかの部分にくらべて新しく、積み直したような感じがある。
これが水車小屋そのものという確信は持てなかった。
(2006年12月16日訪問)