八多川にかかる「ほたる橋」という橋のたもとに水車小屋がある。
こんなところに! という不思議な立地だ。
たぶん、河川改修で土手が高くなってもともとの風景と変わっているのではないかと思われる。
この水車小屋も古くからのこの場所にあり、補助金で補修されたものだ。
野良仕事をしていた人たちがいて、その中の一人のおばあちゃんに話を聞くことができた。
これまで水車小屋をさがしていて「無い!」と言われることをたびたび経験してきたが、八多集落では話を聞いた人すべてが水車小屋のあった場所を知っていて、年配の人は実際に使っていた話をしてくれた。
カギを持ってくるから待ってろと言われ、30分ほど待ったが持ってきてくれたカギが合わず、中は見られなかった。錠が変わっていたみたいだ。ということは、現在はほとんど利用していないのだろう。
この水車は「
中には搗き臼が1基だけあり、1斗5升の米を搗くことができた。米を搗いて精米することをこのあたりでは「踏む」という。唐臼を使った時代が長かった中で生まれた言葉か。
ここでも磨き粉を入れて搗いたそうだ。精米は女の仕事で、家から米を背負って運んだ。精米には7時間かかった。そのころは水輪は木製だったそうだ。
麦を搗いたこともある。精麦である。麦には磨き粉ではなく水を加えるそうだ。その分量を訊ねたら、
「忘れた、長いこと生きとるけん」
ただし戦後のことだそうだ。むかしは100%の米飯は食べられず、麦を混ぜてたべていた。麦と言っても現代人がご飯にまぜる押し麦ではなく、丸麦だ。丸麦を炊くときはまず麦だけを先に炊く。それを「ゆます」というそうだ。沸いたら3時間くらい置いておき、実が開いてきたらお米を混ぜて炊くのだという。
水車にかける水路の取水口は150mほど上流にある堰。
そこから用水路で引かれてくるが、途中で道路の下を通って道の反対側へ流れる。かつてはこの堤防がなかったのだろう。
水車小屋へはふたたび道路の下を潜って水門の開閉で引き込むようになっていた。
水車小屋の前はよどみになっていて、鮎が泳いでいるのが見えた。(写真では見えない)
八多川は勝浦川の支流で、途中に生き物の遡上を完全に止めるような水門はないから、ここまで上がってくるのだろう。
水車小屋から100mほど下流にも堰がある。
ここに水車小屋があったという話は聞かなかったし、念のため確認したがそれらしい遺構は見当たらなかった。
用水路にはカワムツとオイカワの群れが見えた。
(2006年12月16日訪問)