家賀集落から向かいの山の斜面に見えた急傾斜の集落。その場所についてはもう今後書く機会もなさそうなので、ここで関連して紹介しておこう。
2009年ごろ、山間地に残る葉たばこの農家を訪ねた。そのうちの一軒が
その捨子で見かけた茶堂。
「捨子堂」という。つるぎ町全体にある四国88ヶ所の写し霊場「端四国88ヶ所」の13番札所になっている。
このような吹き抜けの堂を徳島では四ツ堂と呼んでいる。これまでも何ヶ所か外観のみを紹介したが、ここではお堂の内部も見てみよう。
間取りは3間╳3間。壁があれば小さなお寺の本堂くらいの規模である。茶堂の機能としてよく言われるのが接待所であるが、ここは山奥のどん詰まりのようなところで、往来する旅人が偶然に訪れて休憩するというような場所ではない。
にもかかわらず茶堂にこれほどのコストを掛けられるのはやはり信仰が動機だからだろう。つまり「接待」とは現実の旅人が対象ではないのだ。この堂はいまも四国のどこかを歩いているとされる弘法大師空海を招き入れる装置なのである。
茶堂の多くは平面が正方形で、1間╳1間のものと3間╳3間のものがある。このような3間╳3間吹き放ちは茶堂としては最も立派なものになる。
立派なのに壁がないのは、こうして開放的な空間にすることでより接待しやすくなる(=弘法大師が休憩しやすくなる)という意図があるのだと思う。
全体的には飾り気のないお堂だが、祭壇部分にだけ彫物がある。
木鼻にしては不自然な位置なので、もしかしたら神社などの別の建物の廃材を利用したのかもしれない。
地蔵格子の中を覗いてみたら、本尊は地蔵菩薩のようだった。
一番右の像はおそらく弘法大師だろう。
この場所は白浦小学校捨子分教場の跡地だ。
もう当時をしのぶ風景はないが、茶堂の下に農家1軒くらいの平地があり、籠り堂がある。
茶堂からはしっかりとした階段がつけられている。
案外、この建物がもと分教場なのかもしれない。
カギがかかっていなかったので上がらせてもらった。
部屋の奥は仏壇があり、弘法大師が祭られている。
ちょっと怖いな。
長押には表彰状が並んでいた。
すべて葉たばこに関する表彰状だ。
右から、貞光たばこ耕作組合たばこ苗床共進会四等賞(昭和32)、専売公社徳島地方局弐等賞(昭和33)、貞光たばこ耕作組合四等賞(昭和34)。
こちらはさらに古い。
右から、端山村たばこ耕作改良団対抗競技会参等賞(昭和28)、貞光たばこ耕作連合組合改良団対抗競技会一等賞(昭和28)。
この土地がかなり有力な葉たばこ山地であり、人々の暮らしがたばこ中心だったことがわかる。
(2009年07月11日訪問)