それでも終点の滝までには林道沿いに中村、奥分、西谷、西畠、西畠という字があり、いまも人が暮らしている。この一角は私が徳島県で見た山村の中でも一二を争う山深い印象の山村だ。
だが廃校になった小学校の校舎も残っているので、かつてはこの山でかなりの人が住んだことがわかる。
中村という字に神社があった。
林道からは苔むした石段が続いている。
周囲は鬱蒼とした杉林になっているが、かつては畑地だったのではないかと思われる。
神社の名前は中村八幡神社。中村集落の鎮守なのだ。
いまではほとんど訪れる人もなくさびれている。ブログ等でこの神社について書いている人もいない。
拝殿は凸型、波板葺き、波板壁のきわめて質素な造り。
本殿は流造りで千木、堅魚木を載せる。
年代は江戸末期~明治くらいではないか。
濡れ縁の脇障子前に壁があり小部屋になっている。
内部には木像が安置されているようだ。
本殿の左側にはたくさんの小祠が合祀されている。
明治時代の神社整理の跡にしてはやけに数が多い。もしかして山を下りた家々の屋敷神が集められているのか?
(2002年11月10日訪問)