西祖谷山村のかずら橋。秘境祖谷山のシンボルとも言える橋で、徳島県西では最大の観光スポットだ。
これまでに3~4回来ているのだけれど、写真を撮るのは初めて。私の場合、すべての観光地に言えることなのだが最初に訪れたとき写真を撮らないと、2回目、3回目に撮ってもおざなりな写真しか撮れない。たぶん自分の中で風景の鮮度が落ちてしまって、集中力が持続しないからなのだろう。
説明によればかずら橋はシラクチカズラという植物の蔓で造られた吊り橋で、平家の落人が追手に攻め込まれたとき切って落とすために造られたなどという伝説があるそうだ。ただあまりにも長い期間観光地として営まれてきたからか、どこまでが史実でどこからが作り話なのかが曖昧になってしまっている。
実際の橋を目の前にしても、自分が何を見せられているのかよくわからないのだ。
先に紹介した二重かずら橋が現在の吊り橋と同じ構造で支索から吊索を降ろして橋床を維持していたのに対して、こちらのかずら橋は支索の上が橋床になっている。その点では原初の吊り橋的な構造といえる。だが一般的に吊り橋の支索は放物曲線を描いてたわんでいるが、かずら橋の橋床はわずかに中央が下がっているとはいえほぼ平らだ。これは地中埋められたアンカーに接続した鋼線が非常に強く張られているということだ。この力学的な構造が本来のかずら橋のものなのかがどうもはっきりしないのだ。中世にそれほどの剛性を持った素材を強力に張れたのか。
写真で左右から斜めに張られているロープは斜張橋の構造ではなく、荷重は掛かっていない。風などで橋の手すりが揺れないようにするためのものか、あるいは、観光で復元したときの飾りだ。
江戸中期に出版された『阿波名所図会』に描かれたかずら橋は概ね現在のかずら橋と似た姿をしている。ただ橋床はたわんでいて、橋の出入口はそれなりの斜度があったはずだ。
材料が植物だけで造られていたかどうかは確認しようがないが、植物繊維の引っ張り強度を考えたら架橋可能だったろう。ただし江戸初期にはすでに針金はあったということは知っておく必要がある。
かずら橋のすぐそばまで行ってみると、とにかく金属感がすごい。鋼線の吊り橋にツルをデコレーションしただけ。ポジティブに言えば構造的な安心感があるということになるが、秘境というより現代的なアトラクションに見えてしまう。
正直初めて行ったときに「アレレ?」ってなってしまった。個人的にはけっこうなガッカリ観光地なのだ。国重文(国指定重要有形民俗文化財)に指定されているのが不思議。
橋床は木材で、隙間のほうが広いのでそれなりに高所感はある。高所恐怖症の人は歩けないだろう。
でも橋床の木材はどっしりしているし、生木って乾麺みたいには折れないから、落ちる恐怖は感じない。カメラのレンズキャップ落としたらやだなという思いのほうが強い。
手すりにもつかまらずに歩いている人もいる。
ちなみにかずら橋は有料でしかも一方通行だ。
かずら橋のすぐ横に抜水橋が掛かっているので帰路はその橋を渡る。
かずら橋を横から写した写真はこの橋の上から撮っている。
なお橋の上流には懸崖造りの巨大有料駐車場がある。平地がほとんどない場所なので、谷にせり出した空中駐車場を造るしかないのだが、これがまた景観を乱していて秘境感が薄まってしまっている。これ私が初めてかずら橋に来たときにはまだなかった。
有料駐車場は橋の北詰めの土産物屋街にも10台分くらいはあるので、土産物屋で食事をするつもりならそちらに止めれば歩く距離は1/3くらいですむ。
(2010年08月02日訪問)