さて、見ノ越の劔神社のつづき。
きょうは見ノ越から国道439号線を西進して東祖谷山村→西祖谷山村を経由して吉野川まで出て、帰路は吉野川沿いを戻るつもりだ。
見ノ越から車で15分ほど山道を下ると、二重かずら橋という観光スポットに到着した。このあたりは人家がないまったくの山奥で、「こんなところにもかずら橋が?」と正直驚いた。
わたしは徳島に来てまだ1年でこの橋のことは知らなかった。手持ちの観光ガイドでも「かずら橋は西祖谷山村善徳に1ヶ所だけ」と書いてあるから、最近新たにオープンしたかずら橋なのか。
ちなみに有名なかずら橋は西祖谷山村にあり、ここは東祖谷山村。
となり村だが30km以上離れている。東京でいうと新宿~八王子ほどの距離感。車をすっ飛ばしても片道45分はかかる距離なので、両方のかずら橋を見るつもりならばよくよく時間を考えないといけない。
かずら橋とは植物の蔓をロープとして造られた一種の吊り橋だ。史料ではかつてこの地方に最大13ヶ所にかずら橋が架かっていた可能性があるという。
ここ菅生地区にもかずら橋があったという記録がある。
入場料500円を払って入ってみることにした。
国道に駐車場があり、そこから橋へは崖を下りていくことになる。
この場所には2つのかずら橋「男橋」と「女橋」が掛けられている。そのため二重かずら橋と言っている。
べつに橋が2階建てになっているとか、そういうことではない。
道なりに行くとまず男橋がある。
見ると、現代の吊り橋の設計となんら変わらない。
懸垂曲線で張られた支索からハンガーケーブルを降ろし橋床を吊っている。ケーブルの材質は索道の架線などに使う鋼線だ。
その鋼線にツタがデコレーションしてある。クリスマスツリーに金モールが巻いてあるみたいに。
え? かずら橋ってこういうものなの?
ツタ素材には1ℊの張力もかかっていないんだけど。
確かに橋床は透けているから、それなりに恐怖感はあるけれど、ツタで出来た橋を渡っている感がまったくない。
現代人からするとツタで橋の重さを支えられるのかと心配になってしまうが、ロープの撚り方によっては支えられたのではないかと思う。セルロースは自重に対して引っ張り強度はかなりあるからだ。ただツタを撚ったのか編んだのかわからないが、その構造はいまここで鋼線にデコレートしてあるものとは違うだろう。
原始的な吊り橋って支索の上を歩く構造だから、橋床自体が放物曲線なり懸垂曲線でカーブしているものだと思うのだが、この橋床は直線。
もちろんツタで作って崩壊事故があってはいけないし、植物繊維では数年ごとに掛け替えが必要で途方もないコストがかかるから鋼線で造るのはしかたがないとしても、構造は原始的にするべきだったのではないか。
男橋からは川岸を上流に向かって歩くと女橋がある。女橋も男橋と同様の吊り下げ構造だが、川からの高度なく橋長も短い。
女橋からさらに上流に
野猿の厳密な定義があるのかわからないが、私個人の解釈をすれば、並行に張られた2本の支索に1つのゴンドラを載せ、エンドレスラインの曳索をつけたものである。支索が2本あることによりゴンドラが安定する。
しかしその最大の特徴は、ゴンドラに結びつけられた曳索の反対側の線を乗客が自らたぐることで自走させることである。これによって岸で曳索を操作する人がいなくても1人で運行できるのだ。その点がこれまで紹介してきた貨物用の索道と決定的に違う。
この観光野猿のスタイルが全国共通なのか、それとも奈良県十津川村の野猿のコピーなのかはわからない。
ただし観光野猿というものが登場する以前にも徳島県内には渡河用の野猿があり通学などに使われたという記録があるので、乗客だけで運行できる形態の索道が存在したことは確かだ。
なお、日本では実用の野猿は存在しないが、タイでは現在も多くの渡河用ロープウェイが使われている。
それから6年後の8月に再び二重かずら橋を訪れた。
これはそのときの写真。女橋。
夏の風景の方が「秘境」って感じがする。
男橋。
観光客がけっこう来ている。川に降りられるので川遊びも可能。
親子が野猿を使っていた。
支索が曲線なので降り場が近づくとかなりがんばって曳索をたぐらないと進まない。もちろん岸にいる人が曳索を引いてサポートしてもよい。
(2003年04月20日訪問)