誕生寺・本堂

法然の誕生の地の跡に建てられた名刹。

(岡山県久米南町里方)

久米南町は浄土宗の開祖法然上人が生まれた土地である。誕生寺は法然が生まれた館があった場所なのだという。法然の家は豪族だったが、幼少のとき父が討ち死にし、法然は別の寺に預けられ、生涯この土地に戻ってくることはなかったという。しかし法然の希望により、法然の弟子がこの地に赴いて館跡に寺を建立したという。それが誕生寺だ。見どころが多いので2ページにわけて紹介する。

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参道の途中には娑婆堂(左写真)という堂がある。四月に行われる二十五菩薩練供養のお旅所(おたびしょ)になるのだという。(練供養というのは仏のコスプレをして行列するという行事、お旅所とは祭のときに神輿などの休憩ポイントとなる場所のこと。)

娑婆堂の前には、巨神兵のような形の塔が建っていた。

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さらに参道を進むと巨大な薬医門が見えてくる。国重文。

その手前には数件の門前町の風情のあるしもた屋があるが、寺の周囲は門前町が発達した気配はあまり感じられない。(同じ誕生寺でも、日蓮宗の安房小湊の誕生寺の門前のにぎわいとはえらい違いだ。)

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しかし、境内にはかなりの参拝客が来ていた。しかも若人が多いのにはびっくりした。浄土宗ってけっこう若い信徒が多いんであろうか?

境内を入って左側には宝物館がある。拝観料は200円。八百屋お七の振り袖があるそうだ。八百屋お七は江戸の人だがなぜこんなところに‥‥

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境内に入って右側には毘沙門天堂。境内は東向きだから右側は北になる。毘沙門天は北方の守護神である。

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毘沙門天堂の左へ、左回りに堂をみていくと、阿弥陀堂(右)と、大玄関(左)、方丈(左端に半分写っている建物)。

阿弥陀堂は建て替えの予定があるらしく、この姿が見られるのもあとわずか。

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方丈の左には袴腰鐘楼、中門(向唐門)、客殿、庫裏。

堂は多い。

客殿と庭園は拝観できる。

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御影堂(本堂)。

重層、唐破風向拝付きというあまり趣味がいいとも思えない堂だが、国重文。

法然上人ゆかりの寺って、こんなのが多いのであろうか。この旅の初日に見た十輪寺も重層だったが。

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本堂は内部に上がることが出来る。

欄間には天女などの極彩色の彫刻がある。

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内陣もキンキラキンで外見に似合わず、内部はケバい堂だ。

なお、写真の中央に見える宝珠は、誕生寺七不思議の一つなのだそうだ。

誕生寺の七不思議は以下の7つ。

  1. 逆木の公孫木(イチョウ):法然がこの地を旅立つとき、杖にしていたイチョウを指したところ逆さに根づいたという。
  2. 御影堂の宝珠:御影堂の宝珠は究極の宝であり、極楽浄土の象徴である。
  3. 秦氏君の手鏡:法然の母が別れを悲しみ流した涙の跡が残っているという手鏡。
  4. 石仏(いしぶつ)大師:天正年間に川から本尊(法然)に似た形の石仏が発見された。それを見た当時の住職は異変が起こると感じ、本尊を井戸の中に隠した。その直後、寺が襲撃され御影堂は破壊されたが本尊は無事だったという。
  5. 黒焦げの(かしら):浪花の文楽座で火事があったとき、法然上人の文楽人形の顔の部分だけが焼けなかったという。
  6. 椋の御影:法然が生まれたとき白旗が飛んできてムクノキに掛かった。そしてそのムクノキが枯れたとき、法然のお姿が天に登ったという。
  7. 人肌の連木(れんぎ):法然が旅立つとき、母に与えたすりこ木棒(?)。法然の肌のぬくもりが残っているという。

寺の七不思議というのはだいたいにおいて、苦し紛れなのが多くて7つ全て納得できることは滅多にないのだが、この七不思議も“イチョウの杖"などかなり苦しくないか?

引き続き、本堂の左側から裏手の伽藍(勢至堂)へと向かう。

(2001年05月05日訪問)