大光院神宮寺。
夕飯を食べるところを探しているうちに柴田町の中心部を離れて郊外まできてしまった。地図をみると近くに大光院という寺があるようなので、車窓から眺めるつもりだったが、予想外に良さそうな寺だったので立ち寄ることにした。時刻はもう6時近くになっていた。
通りに面したところに釘貫門があり緩い石段が続いている。隣には神社があり、神宮寺という名前からしてかつてはその神社と一体だったのだろう。
石段を登ったところにあるのは、平唐門の八脚門。しかも左右に小部屋のようなものが付いていて一見すると長屋門のようにも見える。
東北を旅していると、どうにも形容に窮するような規格外の山門が多いように感ずるのは気のせいだろうか‥‥。
山門を入ると狭い境内がありすぐ本堂になっている。本堂の左側には玄関、書院、庫裏、右側には蔵がある。
本堂の前には小さなまわり場。
一部は向拝柱のための土間にふさがれていて、ここで回るのは大変そうだ‥‥。
本堂の右側から裏に回っていくと、切妻の鐘堂。観音堂(宝形の建物)、如来堂(陸屋根の建物)。
如来堂。RC造の耐火建築。この中には4体の鉄造の阿弥陀如来が祀られており、こんな伝説がある。
かつてこの辺りに長者があり、長年病に苦しんでいた。あるとき旅の僧を泊めると五智如来をの鋳造を勧められ、これを作ると長者の病は快癒した。またそのうちの1体を庭の池に投げ込んだところ、たちまち水が沸騰し、病の原因となっていた蛭がことごとく浮かび上ったという。また村に異変が起きるときは尊像の表面に汗をかくという。
そのため、この如来像は「
現在は如来堂に収められていて、まるで地蔵様のような赤い前掛けをかけられて並んでいる。4体しかいないのは1体は長者の庭の池に沈んだためなのである。
養蚕の神様としてもあがめられているそうだ。
鐘堂の横には火伏せ堂とでも言えばいいのか(?)、消防のポンプ車が収められた倉庫があった。
たまに寺の納屋で人が引く霊柩車などを見かけることがあるので、一瞬ぎょっとした。日暮れかけた境内で見かける霊柩車は気持ちのいいものではないからだ。
寺の裏山の墓地の中には不動明王があった。
(2001年09月22日訪問)