豊川市の北部には標高500mくらいの山並みが続いていて、江戸時代の東海道はその山並みのふもとのわずかな平地を東西に抜けている。この山並みから奥は三河高原と呼ばれる山地がつらなるばかりで大きな町はない。
そんな山地が始まる浅い谷の行き止まりに財賀寺はある。
寺域はかなり広く、参道には老杉が茂っている。
この旅の初日でも山を背負った寺を何軒か訪れたが、やはり背後に人が住まない山林がある寺は心が落ち着く。日ごろ東京で電車の吊り広告やコンクリートの壁ばかりを見て暮らしている者にとっては、神仏の住む無限の奥行に対面して心が開放される場所なのである。
車で谷を分け入っていくと、石垣の上に巨大な八脚門の仁王門がある。見るからに楼門の2階が吹き飛んだというような門であり、案内板を見ると案の定であった。
国重文で室町時代の建物ということだが、修復されてしまっているので新しい感じだ。室町からの材木はほとんど残っていないのではないか。
内部の金剛力士像も重文。
山門は100円を入れると3分間ライトアップされる。ライトアップというくらいだから夜になってからしか意味がないはずである。私の場合は寺参りをしていて日が暮れるなどというのは日常茶飯事だが、はたして夜になってからこの山寺に分け入って、目ざとくこのライトアップ装置に気付く参詣者がどれだけいるのだろうか。
なお、夏期のサービス期間は21時まで無料でライトアップされるそうだ。
仁王門を過ぎて、次の伽藍まではまた車で移動しなければならない。
境内は広大なので、庫裏のある付近と本堂付近を2ページにわけで説明しようと思う。
本サイトでは、庫裏が山の下にあり本堂が山の上にある場合、庫裏のエリアを「本坊」、本堂のエリアを「山上伽藍」と呼ぶことにしている。山上伽藍という概念は、建築物によって作り出された人間界と天上界のメタファーであり、参詣気分が盛り上がるので私は好んで使っている。
本坊エリアの中心伽藍、客殿。その右手には庫裏がある。
客殿の左側には文殊堂。
文殊堂の前には水盤舎。
ここまでの伽藍でも、普通の寺としては十分な数を備えている。
庫裏の前には「千手観音」と書かれたゲートがあり、道は山奥へと続いている。
山門付近にあった伽藍配置図では山上伽藍まではすぐのように見えたので、庫裏の前に車を置いていったんは歩いて山上伽藍へ向かったが、少し行っても堂宇が見えてこない…。
「伽藍配置図はずいぶんデフォルメされていたし、どうも車で行ったほうがよさそうだ」と駐車場に引き返し、あらためて車で登ることにした。
途中で庭木の手入れに来ている業者のトラックが林道につっこんで停まっていた。そこから先は車が置けそうになかったので車を停めて歩いて参詣。
参詣客が多いシーズンには山上伽藍方面への車の進入は控えたほうがいいかもしれない。
(2001年10月07日訪問)