三河湾はハートの形をしている。ハートの左半分は知多湾、右半分は渥美湾と区別されていて、蒲郡市は右側の渥美湾に面している。蒲郡市には三谷温泉、蒲郡温泉、形原温泉、西浦温泉という4ヶ所の温泉地があり、風光明媚な海岸線と相まって一大観光地となっている。
ここで紹介する大聖寺は三谷温泉のホテルが建ち並ぶ温泉街の中にある。大聖寺はいわゆる珍寺というか、むしろ秘宝館に近いものなのだが、こうした施設を見るとき、日本人の団体旅行の歴史を振り返らずにはいられない。
三谷温泉は昭和30年代に発展した温泉街である。経済白書が「戦後は終わった」と謳い、多くの日本人にも行楽に出かける余裕が生まれた。だがその戦後の急成長を支えてきたのは戦前、戦中、のまじめな世代だ。そういったまじめな世代の人々が団体で温泉地に出かけ、ストリップ小屋や秘宝館などでつかのまハメを外し、アングラな気分を楽しんだ。それがこうした施設の機能なのである。
日々ハメを外している現代人からみれば珍妙にしか見えない施設だが、30年代の日本人はこうした装置がなくてはハメを外せなかったとも言えるのである。
そういう意味で秘宝館は日本人の精神史を物語る重要な歴史的文化遺産なのである。ぜひともそこに流れる昭和の歴史を味わいながら拝観したいものである。
ドーム状の本堂で1,000円の拝観料を払い、階段を下りると、大秘殿すなわち地下霊場の入り口へと至る。このときは拝観者は友人と私だけだったが、かつては団体旅行のおっちゃんやおばちゃんたちが、にぎにぎしく列をなして拝観したのだろう。
内部は地下霊場と言っても、厳密に言えば建物の1階である。壁はコンクリートをでこぼこに仕上げてある。
明かりはついているので、手探りで進まなければならないような場所はない。
狭い通路を進むと地獄の残酷ジオラマやエロ仏像が点々と続いている。
世界に実在するエロ仏像の模写などもあったのかも知れないが、勉強不足でよくわからなかった。
吉祥天であろうか。ふんどしが妙にエロい。
通路は左右にうねっているだけでなく、足下の仕上げの質感が変えてあったり、暗いところと明るいところの変化させたり、設計としてはよく工夫されている。
進むにつれて、仏像の密度が濃くなってくる。
途中、七福神、十六羅漢、三十三観音(写真)などのまじめなコーナーもある。
後半に入ると、ライティングもけばけばしくなると同時に、エロの度合いも激しくなってくる。
歓喜天などは序の口で、男根、女陰をリアルにかたどったあられもない秘仏が増えてくる。もはや秘仏めぐりというより単なる秘部めぐりの様相である。
あまりにもモロな画像は公開がはばかられるので、普通の神仏を紹介しておく。
弁財天といえば、以前にも紹介したが裸体のものがときどき見受けられる。ここではピンクの照明がなんとも場末な淫靡さを醸している。
洞窟巡りを終えると、本堂の内部に出てくる。寺というより、新興宗教の施設のような雰囲気だ。
本堂には巨大な祭壇があり、
料理の神様である。
この壁画はかなり巨大で本堂のあるフロア(2階)から見下ろすようになっている。
こういう立体的な空中拝観の方法は好きだ。
さらに進むと、土産物売り場と休憩所になっている。ここではお茶とお菓子がいただける。窓の外に広がる海の景色を眺めながらひと休みという趣向なのだろうけれど、それは現代人の観光のスタイルとはずれていると思う。
もちろん、私はお茶をいただきながら、その昭和的なもてなしの居心地の悪さを楽しんでいたのだが。
拝観順路の最後の部分が銀路のドームの内部になっていて、室内にお堂がある。
お堂に祀られている願掛け秘仏。秘仏という割には厨子が開いているのだが、これは前仏か。階下のエログロを見たあとでは、これがまっとうに見えてくるから不思議だ。
大秘殿の入場料1,000円は人によっては高く感じるかもしれないが、私としては充分に堪能できたので不満はなかった。
なお当日はキャンペーン中だったようで帰りがけにお土産のオリジナルタオルをもらえた。
(2001年10月07日訪問)