楽音寺。
国道2号線から県道に入ると八脚門の仁王門が見える。仁王門は宮大工の仕事という感じではなく、農家の納屋みたいなおおざっぱな建築。
本堂は写真の右隅に見える家並みのあたりで、山門からは300mくらい離れている。かつては広大な寺域があったのだ。
山門の金剛力士像は獣のような荒々しい顔が個性的。振り上げた腕から肩にかけての様子はやや不自然か。
吽形のほうも、特に手首から先の角度が不自然な感じ。以前は金剛杵などを持っていたのだと思われるが、持物がないためよけいに違和感がある。
弘法大師の像を見るたびにも思うのだが、金剛杵を構えた仏像はなぜ手首を不自然な角度に曲げているのだろう。
山門を過ぎて田んぼのなかを進むと小高いところに本堂の屋根が見えてくる。
古風を感じさせる美しい屋根だ。
本堂への石段。
屋根の大棟、吹き下ろし、軒、という順番に徐々に建物の姿が見えてくる変化の美しさは、実際に参詣しなければ体験することができない。
本堂の全景。
案内板によれば、1598年の建築で「戦国時代の特性を反映した建物である」と書かれている。観光ガイドやホームページなどにも気安く引用されているが、この説明が言わんとすることを理解できる学識のある人は日本にどれだけいるのだろうか。少なくとも私はその中には入っていない。
見当違いになるかも知れないが、私が素直に感じた印象を言えば、建物は全体の様子は室町風。内陣の様子は安土桃山風である。
間取りは密教の要素があるが、裳階というか下屋の部分があり、しかも吹き放ちになっているのは、これまで見てきた東広島の寺々とも共通する。
内陣と厨子は彩色されている。
本尊は薬師如来。暗くてストロボを使ったので黒っぽくおかしな色に写っているが、実際は金箔がきれいな仏像である。
本堂の左側には「明雲院堂」という扁額のかかった堂があった。
霊廟か開山堂であろう。
本堂の右側には弁天社、庫裏がある。
この庫裏のように、平屋でありながら、屋根を2層に作った民家を「
東広島の寺の本堂に裳階状の庇が多いことと、この居蔵造りという民家になんらかの関係性があるのかどうかはわからない。とにかく庇が好きなお国柄であることは確かなようだ。
庫裏のさらに右側には稲荷大明神。
その先には大師堂がある。このように楽音寺の伽藍は横一列に並んでいる。
お寺の教科書には書いてないが、密教系の地方の中堅寺院には横に並んだ伽藍が多いように思う。
境内にはほかに香炉堂(写真)と東司があった。
(2002年08月27日訪問)