2日目の目標は山岳霊場、白滝山、黒滝山に参詣することと、瀬戸内海の島大久野島を見学することだ。
私はいつもその日にどこまで行くかは決めずに気の向くままに観光しているのだが、島の見学は船の時間があるので気ままというわけにはいかない。少なくとも午後の明るい時間には島に上陸する必要がある。
とは言っても、実は私は大久野島のことはあまり下調べしていなかった。そもそも島に車を持っていけるのかどうか、車を持っていく必要があるのかどうかさえも現地に着くまで知らなかったのだ。
結論から言えば大久野島は車を持っていくような場所ではなかったのだが、港へ着くまで私は内心ではフェリーで車を運ぶつもりでいた。前日の行程の疲れが残っていたうえ、白滝山、黒滝山の参詣で相当足にきていたからだ。
連絡船の切符売り場では、島のホテルに宿泊する家族連れや若者たちがあふれていて、旧軍施設の廃虚の写真を撮りに行くような不届き者はどうやら私ひとりだけのようだった。しかもその私の姿は、白滝山、黒滝山の山登りのおかげで、服を着て海に飛び込んだのではないかというくらい汗で濡れそぼって、筋肉痛のために歩く姿はどう見てもゾンビである。リゾートへ向かう連絡船の中で、私は明らかに浮いていた。せめて少しでも周囲のムードに溶け込もうと買ったばかりのアロハシャツに着替え、身軽になるためカバンなどをすべて車に残してカメラだけを持って連絡船に乗ったのだった。
大久野島はおそらく健康な状態であれば「ちょっとした散歩」という程度で一周できる広さだろうと思う。だがこのときの私は、数歩足を前に出すのにも躊躇するほどの疲労状態で、島の一周や砲台跡を探しての山登りはとほうもなく遠い道のりに感じられた。シャツはまたすぐに汗でぐっしょりになり、脱いで写真を撮っているうちに廃虚の中に置き忘れてしまった。気付いたとき数百m戻ればシャツを回収できたのだが、わずか数百mを歩いて戻ることができずに置いてくるしかなかった、というのがこの島の思い出である。
私の旅の体験でこの日よりキツかったのは、富士山頂日帰り登山というのがある。いずれももう一度体験することは考えたくないような記憶だ。でもあとになってふり返ると、キツかった旅ほどかけがえのない思い出にもなっているのも事実なのだ。