広島駅の北側のエリアは寺町を形成していて、もう少しねちっこく廻れば、まだ紹介できる神社もあるのだが、午前中からの気だるさのせいで、全部を廻ることはしなかった。
実を言えば門前まで行って写真を撮った寺社もあったのだが、それでは中途半端な紹介しかできないので、次のまっとうな訪問地不動院まで飛ばそうと思う。
寺町に行って途中で敵前逃亡したことはこの旅行記ではあまり前例がないことだが、それほどだるかったのだ。
不動院は広島駅から3kmくらい北にある古刹。国前寺などがあった二葉山の山並みとは地形的にはひと続きである。
寺の入口は、普通の住宅街の街路のような、参道らしくない参道になっている。ぼんやりしていたら通り過ぎてしまいそうだ。
参道を進むと、二重門が見えてくる。全体的に、あっさりした唐様でまとめられている。国重文。
どのへんが唐様かというと、
- 柱の上部に台輪(だいわ)という板状のものが乗っていて、組み物はその上に乗る。
- 柱と柱の中間部分にも組み物がある(詰め組み)。
- 二層の垂木が中心から放射状に並ぶ(扇垂木)。
- 尾垂木の断面が五角形。
というあたりだろうか。
国重文というが、そこまでの建築には見えない。端正な姿で、一層の屋根の反り具合もいいとは思うが、部材が全体的に新しく、戦前くらいの建築と言われれば、そうかと思ってしまうだろう。
伝説では、秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮から戦利品として持ち帰ったものだという。
門の前方に仁王が納められていて、後方は吹き放ち。
後方部分に階段があったが、残念ながら戸が締まっていて登ることはできなかった。
二重門に登るときは、たいてい一層の小屋組みの中に踊り場があって、普通の楼門よりは楽しい構造なので、登れるものなら登りたいのだ。
本堂でもある仏殿。国宝。
伽藍配置図では「金堂」となっている。現在の不動院の宗派は「広島県真言宗教団」なので、禅宗ふうの「仏殿」という名称は使えないのだろう。
だが、これは誰が何と言おうと、仏殿であろう。
5間四方の巨大な仏殿で、正面に1間が吹き放ちになっている。これは禅宗(特に黄檗宗)の大雄宝殿に見られる特徴で、中国の仏殿の形式だ。屋根はこけら葺き。山口県の寺から移築されたという伝説がある。
建物単体としてみて、国宝指定は妥当なところなのだが、山門と組み合わせてながめると、建物の意匠に統一感がなくチグハグな印象は否めない。
内部の須弥壇。
薬師如来と十二神将が祀られている。
鐘楼。仏殿の右側にある。
和様と唐様の折衷様式。上部は緻密な造形だが、袴腰部分は漆喰でおおざっぱな造りになっている。上から作っていったら途中で力尽きた、という感じだ。朱塗りの色彩は、楼門、仏殿ともミスマッチで、他の堂との違和感が際立っている。
文化財の看板によれば1433年の築で国重文ということだが、どうなんだろう。全体的に新しい部材で補修されているせいもあるのかもしれないが、室町前期のオーラはあまり感じなかった。
庫裏。仏殿の右後方にある。
仏殿のうしろには護摩堂(右)と、納経所(左)。
納経所のさらに奥には鎮守社があった。
福玉稲荷と書かれている。
鎮守社の横には、法起菩薩という像があった。牛の守り神だそうだ。
境内はひろびろとしていて、外周に観音堂や地蔵堂などがある。伽藍配置としてはとりとめもない感じだし、樹木も少なく、背後の住宅地が丸見えなので、境内の景観はいまひとつだ。
仏殿の左側に放生池があり、弁天堂の跡のようなものがあった。
(2002年08月29日訪問)