秋間丘陵には人の住む谷は4つあるのだが、そのうち一番南にある九十九川の上流部へと分け入った。その最上流に近い集落、北村で左写真のような風景が‥‥。
思わず車を停めた。これはおそらく霊柩車の車庫であろう。
辻堂と車庫がある。
辻堂の中には弘法大師。
集落の人に許可を得て、車庫を開けてみた。
内部には座棺輿がしまってあった。これまで見た座棺輿はいわゆるおみこしのような宝形照り起り(てりむくり)屋根のものだったが、これは切妻・妻入りの唐破風屋根。前橋東部で見た打越の霊柩車と似ているが、輿タイプになったものだ。
横に立てかけてある棒を輿の下部に差し込んで担ぐようになっている。
葬送行列の持ち物はこれまで竜頭を紹介してきたが、ここでは提灯(観音菩薩の文字のあるもの)や、天蓋(赤いワラビ手が付いているもの)も残されていた。
最後に使われたのは30~40年も昔だという。
車庫の横には、庚申塔と絹笠明神を線刻した石塔がある。(絹笠明神の拡大写真)
絹笠明神は養蚕の守護神で、この像は右手に蚕種紙、左手に桑を持っている。蚕種紙は「たねがみ」とも言って、カイコ蛾に卵を産ませる台紙だ。
かつて関東では絹笠明神の錦絵が縁起物として販売されていた。錦絵では蚕種紙を持った姿に描かれる場合が多い。私もその最後の時代の縁起物を買って2種類ほど手元に置いてあるが、もう群馬では簡単には手に入らないものになってしまった。
(2010年05月04日訪問)