2008年、年末の稚蚕飼育所巡りの3日目。鏑川の下流、藤岡市付近をまわることにした。高崎市新町付近を起点に飼育所を探し始めるが、2箇所がすでになくなっていた。これまで高崎市の中心街である烏川東岸のエリアでは稚蚕飼育所を紹介できていない。見た記憶がないのだ。
いずれ、高崎市東部から前橋市南部方面の飼育所もチェックしたほうがよいのだろうか。群馬県の平野部はかつて蚕の一大産地だったので、飼育所もあったはずなのだが。
藤岡市内にある赤城神社へと着いた。
境内にある稚蚕飼育所が目当てだが、まず神社を見ていこう。
鳥居から拝殿まで、一直線に続く参道は100m以上ある。前の街道を通ったら、気にかかるだろう神社だ。
拝殿は入母屋造。
拝殿の右側には倉庫。
初詣の準備の門松がもう飾られていた。
拝殿の背後には長さ1間の石の間があり、1間四方の覆屋状の建物につながっている。この建物が本殿の覆屋なのか、あるいは、本殿そのものなのかはわからない。
拝殿の前にあった円柱状の石灯籠。石灯籠については、ほとんど知識がないので断言はできないが、珍しい形ではないだろうか。
火袋の下部に通常はあるはずの中台というパーツがない。棹の上に直接火袋が載っている構造になっている。また、棹が鼓状にくびれているのも変わっている。
棹の部分に天明八年の銘がある。
境内には石祠がいくつか置かれていた。
長い向拝を持った流造の石祠があった。向拝柱に付けられた小さなしめ縄がかわいい。
同じく、境内で見かけた石祠。
妻飾り部分に、懸魚、降り懸魚、大瓶束、支輪などの組み物が精緻に再現されている。
向拝部分の屋根に
境内で見かけた猿田彦大神の石碑。
猿田彦は天孫降臨の際に道案内をした神として知られるが、群馬県では特に「三隣亡除け」として祀られる。「三隣亡」とは邪神を信奉することで他家の財産や田畑を手に入れて豊かになったとされる家である。集落に三隣亡の家がある場合は、その家に向けて猿田彦や鐘馗を立てて、呪力を封じることができるとされている。憑きもの筋と同類の俗信だ。
その役目が終わり、神社に持ち込まれたものではないか。
猿田彦の碑の背後にある巨樹。
ムクノキだろうか。
神社のすぐ近くに三つ櫓を載せた大きな養蚕農家があった。
手前のブロック積みの建物は、蚕を飼育するための「蚕室」ではないかと思う。
母屋は2階建、切妻、出桁造り、右勝手。群馬県の平野部に多いタイプだ。明治から大正時代くらいの建物ではないかと思う。
大棟には、本瓦を積み上げた波のようなデザインの箱棟が載っている。
煙出櫓は箱棟を切り込むように納めている。
(2008年12月30日訪問)