高山薬師堂

楼門の透けっぷりが強烈。

(群馬県藤岡市高山)

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高校生のころ、群馬県内の楼門をすべて見るという野望をいだいていて、よく自転車でお寺を見て回っていた。そのころはいまほど情報がなかったから、お寺のことを調べるには 1/25,000 地形図や人文社の道路地図などで、卍マークのある場所に実際に行ってみるしかなかった。

そのころたくさん見たお寺のなかで、かなり強い印象に残っているのがこの高山薬師堂である。

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地図に掲載されている卍マークには、堂宇のたくさんある巨刹もあれば、墓地にある無住の観音堂みたいなものがある。すべてを見ていくのは無理だから、まず「ここは行っておいたほうがよさそうだ」という目標の寺を決め、そこを目指しながら途中の寺も見ていくという動きをしていた。この寺を初めて訪れたときは、鬼石にある名刹「浄法寺」界隈の寺を見るために、友人と出かけてきたのだった。

高山という集落に入る谷の途中で、道ばたに写真のような石段がある。看板もなく、寺か神社かも判然とせず、登っていっても小さな堂のひとつでもあれば御の字という風情の石段だ。経験的に言って、群馬県ではこういう細い石段の先に大寺院があることはないので、そのときもほとんどやる気のない状態で、友人とふたりで石段を登って行った。

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ところが、雑木林と竹林のなかの石段を登って行くと、楼門のようなものが見えてきた。まったく期待していなかった石段の先に、お目当てだった楼門があったのだから、その時の感動は忘れられない。

いまの参道の風情は当時と変わってはいない。石段にはコナラや竹の葉がつもっていて、それを踏みしめながら歩くのは気持ちがいい。

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登りきったところにある楼門がこれ。かなり変な楼門だ。

当時高校生だった私と友人は、「なんじゃこれ~」と叫んでいた。なにしろ一階、二階ともまったく壁がなく、柱とヌキだけで作られた「スケスケ」な楼門なのである。その様子からこの門を「すけ(ろう)」と名付けたのだった。

私もその後、おそらく1,000ヶ寺か2,000ヶ寺か、多くの寺々を見てきたが、これに匹敵する「すけ楼」はいくつも知らない。

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高校生の私の目には、貧相にしか見えなかった門だが、いま見てみると、実は見どころもけっこうある。もともと日本建築には耐力壁で構造を強くするという発想はないのだから、このようにたくさんのヌキを入れていれば構造上の問題はないのだろう。むしろいまなら「未完の門」と呼んでもよいような清々しさすら感じる建築である。

斜めの部材「斜交(はすか)い」は、もしかしたら後補のものかもしれない。また、基礎がコンクリで作り直されていて、まだ工事の後は真新しかった。

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お寺の建物でたまに、「これは宮大工ではなく、家大工が建てたものかな」と思うような建物があるが、この門は貧相なようでいて、それなりの宮大工の仕事がわかる。

写真の右側の肘木の先の雲形の模様のシンプルさなどを見ると、江戸前期までさかのぼりそうな感じ。

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二階の軒にはいろいろな仕事がしてある。

小壁には蟇股を思わせる装飾も。遠目には実際の蟇股ではなく、彫り物のようだ。

柱の上にある組み物の「三つ斗」ももしかしたら、一体化した彫り物かもしれない。

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その先にある薬師堂。やはり基礎がコンクリで作り直されている。以前がどうだったかはまったく記憶に残っていないが、おそらく床下は木造だったろう。

屋根は桟瓦葺きだが、軒は二重茂垂木(しげたるき)で本格的。全体的にやはり江戸前期は確実に行きそうな建物だ。

境内に案内板があり、歴史などが書かれているのだが、読みにくい文章で困った。なんとか解釈すると、この堂は石段の下にあった寺のものだったが、その寺は明治に廃寺になって、山上の楼門と堂だけが残ったということのようだ。

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堂の内部には、五智如来という五体の仏像がまつられている。もともと、別の寺にあったものをここに移したらしく、本来ならば正面を向いて並べるべき仏が、横向きに並んでいるのだそうだ。

案内板の文章が本当に読みづらくて、読解が間違っているかもしれないが、この仏像は元々江戸の吉原にあったもので、胎内に花魁の恋文が入っているという伝説があった。調べてみたところ、病気平癒の祈願文が書かれたもので、恋文ではないが手紙の裏を使って書かれていたというようなことだったらしい。

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内部は地蔵格子からのぞくしかなく、写真を撮るのはかなり厄介だった。Photoshopでおもいきり増感しているので見えるが、現代のパソコンの支援がなければ、紹介できるような写真にはならなかったろう。

左側の仏は、手前が多宝如来、奥が釈迦如来と書かれている。

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左側の仏は看板がないが、手前が薬師如来、奥が大日如来だろう。

あと、案内板によれば、阿弥陀如来がいるはずなのだが見当たらない。・・・これ、本当に五智如来なのか??

なお、この寺が「高山薬師堂」と呼ばれるゆえんは本尊の鋳造の薬師如来立像で、ここで見えている仏像は関係ない。薬師如来立像はこの奥の厨子に入っているのか、別の場所で保管されているのかはわからなかった。

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隣には、子の権現(ねのごんげん)という鎮守社がある。

案内板によれば、元は別の寺にあったものをここに移転、明治二十年に建物を再建したものとのこと。

子の権現といえば、埼玉県の神仏混交の名刹「子の権現・天竜寺」が本山であり、このお堂はその末社になる。

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子の権現に祀られている「()の聖人」といわれる僧は、生前に足腰を患ったことから、足腰の病気に御利益があるとされている。

建物の側面には、鉄やトタンでできたわらじやタビがたくさん奉納されている。

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鉄げたなどもあった。

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境内で見かけた、スマートな石灯籠。

棹のくびれが美しい。

(2008年12月30日訪問)

旅の手帖2023年2月号

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