前橋市川原町。
むかしの川原町を知っている人が、いまの川原町を訪れたらまさにキツネにつままれたような気持ちになるだろう。
川原町はかつては川原島といって利根川の中洲だった。家といえば中洲の土地の高いところを南北に通る1本の道の両側に農家が並ぶだけで、その周囲の低地つまり利根川が流れる場所は桑畑や松林が広がるばかりの寂しい場所だった。いま県立ぐんま学園から水産試験場にかけての斜めにつながる地割りは利根川の流路の跡であり、もしまた利根川が氾濫することがあれば水が流れ込んでも仕方がない土地だ。
市杵島神社は以前は川原島の東岸の崖の上に建っていた。川原町には東西の道路はこの神社の前の一本の坂道しかなかった。
いま川原町はほぼ平坦に造成されてしまい、道路も網の目のようにたくさんある。神社も若干場所を移したようだ。あの崖や坂道が現在のどこにあたるのかもう想像することむずかしい。
かつてこの神社の境内は近所の子どもたちの遊び場になっていて、日都産業(株)社製の珍しい遊具が並んでいた。私が初めて遊具のメーカーを意識した場所でもあった。
現在は神社らしい厳粛な感じの風景になり、子どもが遊べる感じではなくなった。
社殿は入母屋造りの拝殿に、切妻平入りの本殿。
切妻平入りといえば、神明造りとか流造りとい形式がポピュラーなわけだが、これはそのどちらにもこじつけることはできない。
「切妻平入りの本殿」としか言いようがない。
本殿の西側には百庚申が並んでいる。
これが親庚申か。
本殿の裏には、小さな石宮が並んでいる。
本殿の東側には衣笠大神という石碑があった。
養蚕の神である。
その横には馬鳴菩薩の石塔があった。
これも養蚕の神。
川原町は昔は養蚕の盛んな土地だった。現在、県営のゴルフ場があるあたりは桑園が広がっていたが、利根川が氾濫して桑がだめになったのをきっかけに養蚕は衰退したという。
馬鳴菩薩の近影。
馬に乗り、手には桑の枝を持っている。
(2015年12月20日訪問)