山門は石門。
善光寺という名前は長野の善光寺とたまたま同じなのではない。この寺には長野善光寺の善光寺三尊仏を勧進した仏像が祀られているのだ。
ただし長野善光寺の末寺というわけではないそうだ。
途中にある堂宇。
手前は地蔵堂。
その隣には、産泰明神社。
前橋市下大屋町にある産泰神社の分社であろう。安産の神様である。
鐘堂は石垣の上に作られている。
その鐘堂の横に
この石幢は四面に阿弥陀如来や不動明王(?)が彫られている。
そして中が空洞になっていて、中心部には大日如来がいる。
外側にいる阿弥陀如来は脇侍という構造か。
境内の西側には
捕まえた魚を逃がすという功徳を行うための装置だ。群馬県内で、明確に「放生池」と看板を出している池は他には思い当たらない。
放生池は一般的には、参道の途中に左右にある(参道が橋になっている)場合が多いが、この寺では境内の外れにプール状の長方形に作られている。
これは環濠屋敷の名残なのではないか。
本堂は極楽寺と同じく、桟瓦風の銅板葺きの入母屋造り。
越屋根を載せた善光寺様式ではない。ということは、おそらく地下の戒壇巡りもないであろう。
本堂の右側には玄関と庫裏。
本堂の左側の小さな杉林の中には虚空蔵堂(?)。
その奥には諏訪神社。
数えてみたわけではないが、この下川淵地区には諏訪神社が多いような気がする。
本堂の右側に、柵がしてある場所がある。ここには以前濠があったようだ。2014年現在の地図でもここに濠が描かれているものが多い。手前の暗きょは濠からの排水路だったのだろう。
本堂が瓦葺きだったのを銅板葺きに直す工事をしたとき、本堂から瓦を落として埋め立ててしまったという。
この濠と、放生池をもって、私はこの寺がかつて環濠屋敷の体をなしてたのではないかと考えている。
本堂西の杉林の中には沢山の宝篋印塔が並んでいた。
このように九輪部分が花弁になっている宝篋印塔がたまにあるようだが、これにはなにか意味があるのだろうか。
そもそもこれは宝篋印塔なのか。
善光寺の西側は共同墓地になっている。
おそらく、善光寺とは別なのだろうが、一緒に紹介しておこう。
堂宇は阿伽井屋のみ。
内部の様子。
(2014年12月21日訪問)