高梁市から総社市へと移動した。
総社市近辺は以前の旅で中途半端に立ち寄っていた。どうしても見ておきたいのは市街地にある総社宮になるが、まだちょっと時間の余裕がありそうなので、ひとつだけ別の寺に立ち寄ることにした。
市街から史跡鬼ノ城方面に分け入り、そのさらに奥の山中にある寺、岩屋寺である。
特に事前に下調べをしていた訳ではない。道を走っていて、寺の案内板が出ていたので吸い込まれてしまったのだ。
寺は近くに駐車場がありそこから少し山に入ったところにあった。石垣はかなり立派。
石垣をのぼった先には本堂の観音堂。かなり寂れた雰囲気。
岩屋寺は平安時代に栄えた山岳霊場で、室町時代末期には戦乱で廃寺となった寺だとのこと。
さすがに伽藍を失ってから長い時間が経っているため、大きな寺があったという気配はあまり感じられない。以前、奥州藤原時代の寺の跡を見たときも、こんな感じだったな。
本堂から左手に石段が見えた。登ってみよう。
石段の先にあったのは毘沙門堂。
毘沙門堂の横には巨大な
鬼の差し上げ岩といい、桃太郎の鬼のモデル温羅が、岩を積んで造った隠れ家という伝説がある。
花崗岩が方状節理で風化した大岩が砂の中から露出しているという地形。地質学の知識がなければ、人為的に造られたようにしか見えない。これまでにも山陽地方で何ヶ所か見てきたがやはり神秘的だ。
むかしの人がこれを見たら、計り知れない力を持った巨人がこの石を児戯のように積み上げたという想像をするのも不思議ではない。
風化が進んだ部分が砂になっているので、まるで遺跡が砂地から出土したみたいに見える。
岩座の裏の尾根に出てみると、周囲の山々が見渡せる。
山陽地方っぽい山並みだ。
山中には遊歩道があって、岩座巡りができる。
途中にはところどころに石仏もある。
こうした岩々を聖地に見立てて、山全体が霊場の一山寺院があったのだろうか。
屏風岩と名付けられた岩。
岩座の上から望む西の山並みが影絵のように見える。
尾根道をさらに進んでいく。
巨岩が続く。
岩切り観音。
後ろの岩壁に磨崖仏の千手観音が彫り込まれている。
その拡大写真。
ひと回りして再び本堂があったエリアに戻ってきた。
延寿院という子院の跡があった。
岩屋寺の全盛期には38の僧房があったという。ここはそのひとつなのだろう。
この平地にかつて寺があったのだ。
いまはもうこのブロック造の小堂があるだけだ。ほかにも探せば僧房の跡が見つかるのかもしれない。とりあえず、まだ総社市街の見学もあるのでここまでとする。
岩屋寺の裏山をひと回りするのに要した時間は45分程度。1時間あればゆっくり見て回れるだろう。
岩屋寺の門前町、字岩屋の集落。5~6軒からなる小さな山村だ。
かつてはここも僧房か宿坊の集落だったのではないか。
この棚田ももしかしたら室町時代からあったのかもしれない。
集落の母屋は入母屋屋根の四方蓋造りが多かった。
岩屋集落の全景。中央にはベーハ小屋が見える。
(2003年05月03日訪問)