宝福寺

雪舟が涙で鼠の絵をかいたという臨済宗の名刹。

(岡山県総社市井尻野)

総社市に着いたのは“夕方"という表現よりは、むしろ“夜"と呼ぶのがふさわしい時刻だった。もうこれから総社市を見学することは出来ない。総社市の見学予定をすべて飛ばして、明日の予定地である備中高梁へと向かうことにした。総社市はまたいつか別の機会に訪れることにしよう。

しかし、総社市から高梁市に向かう途中にある宝福寺だけは見ておかないと、明日の朝に高梁市から道を戻らねばならず効率がよろしくない。そこでかなり遅い時間ではあるが無理やり宝福寺を参詣することにした。

宝福寺は臨済宗東福寺派の禅寺で、雪舟が幼少のころ修行に出され、涙で鼠の絵を描いたという有名な伝説を持つ寺。同じような伝説はおそらく他の寺にもあるだろうが、宝福寺はその伝説の震源地ともいえる寺ではないか。雪舟は総社市の出身である。

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すでに日は沈み、残照も消えて、西の空も東の空も区別のないような暗さの中、宝福寺に到着した。山門の戸が閉まっていれば一巻のおしまいである。

だが山門には門扉がなく、境内に入ることが出来た。想像以上の巨刹だ。

山門は一間一戸の楼門。

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楼門を入ってまっすぐ進むと仏殿がある。円窓(えんそう)が強力なアクセントになっている中国風の建物。

案内板によれば「仏殿、別称法堂ともいう」と書かれているが、これは絶対に法堂とは言いわない。誰がなんと言おうと、これは仏殿以外の何ものでもない。

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仏殿を真横からみたところ。

側面にも円窓がある。

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仏殿内部の様子。須弥壇の横に雪舟の伝説の絵が飾ってあった。

床は磚(せん)という板状の瓦を敷き詰めてある。左写真のように壁に対して45度の角度で磚を敷くのが本格的な仏殿の特徴である。このような45度に敷く手法を“四半敷(しはんじき)"という。

天井には龍の絵があり、それが夜な夜な抜け出して放生池の水を飲んだので、目に釘を打って封じこめたという伝説がある。(これは雪舟とは関係ない後の時代の伝説。)

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方丈と玄関。

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庫裏。

いずれも堂々たる建築である。

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開山堂か?

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境内の南西には三重塔がある。室町初期の建築で国重文。1969年に修復をしたためまだ新しい印象だ。

意匠はほぼ和様で統一されているが、柱上に台輪を置くなどわずかに唐様の特徴も見られる。(たぶん。とにかく暗くてよくわからないのだ。)

(2001年05月04日訪問)