古庄の町を少しぶらぶらしてみた。
古庄は那賀川下流の河岸であったろうと思われる町だ。現在那賀川左岸の堤防の背後にはいくつもの製材工場が並んでいる。
かつて堤防がいまより低かった時代には上流の林業地帯から筏流しで木材が運ばれここで荷揚げざれ製材されていたのであろう。その輸送方法は堰やダムが造られて、おそらく早い時期に陸上輸送に切り替わったはずだ。
だが木材の集積地としてすでにその地位を確立していた古庄はトラック輸送になってからも木材加工地として繁栄を続け、ここに駅ができるまでになったのだろう。
土手に上がってみた。
小さな雑貨屋とおぼしきしもた屋があった。まだ水運があった時代からここで営業した店ではないだろうか。
店の背後には大きな製材所が見える。
堤防の上には「水神社」という神社があった。
洪水や水難除けの神様なのだろう。
神社の本殿。
境内には不動尊の石仏があった。
徳島では村境に祭られることが多い。
水神社の前は三角形の広場になっている。広場の一角には火の見櫓がある。増水時には那賀川の堤防を監視するための機能もあるのだろう。
この三角形の敷地は、地図をみると古い支流の分岐点で、堤防ができる前には船だまりなどがあった場所ではないかという気がする。
ビビッドな色がきれいに塗り分けられている。
基礎のコンクリにもペンキが塗られている。
踏み板のロゴを見ると日都産業製のようだ。
アーチデッキ型の滑り台を見る時は、タラップと滑降部の手すりがどのようにデッキに接合しているかというのがひとつの着目点だ。
これはもっともポピュラーと思われるタイプ。
ブランコもパーツごとにきれいに塗り分けられていた。
(2004年03月14日訪問)