国道438号線。四国の屋根を走る
私もこの道は好きで、高知市から徳島市への帰路で利用することがある。徳島市民が聞いたら「そんなアホな」と言うであろう。それどころか私は八幡浜市や宇和島市方面からの帰路でもそれぞれの地域の酷道や
たとえば夕方に愛媛を出て高速道を使えば晩飯時には徳島に帰れるが、酷道を組み合わせれば帰宅は確実に深夜になる。それでも通ってしまうほど、438/439号線は私にとっては魅力的な道なのだ。
私にとってこの道の魅力は、「国道なのに1車線」とか「とんでもなく見通しの悪いカーブ」があるというようなネタとは関係ない。四国の深い山の、そのまた奥山の渓澗や尾根にも人の暮らしがあるという驚きを、毎回実感することがこの道の魅力なのだ。
長いあいだ都市に暮らし、サラリーマンとして生きてきた私には、この山里でどうして暮らしてゆけるのか、それを理解することはできない。
もちろん私も横浜から徳島に移り住んで、さまざまな農家を訪れたりするようになり、気軽に立ち寄れる山家が何軒もできた。だがそうした付き合いがあっても、山で稼ぎ、衣、食、住を成り立たせるその1戸の家の暮らしすら理解できないのだった。それが四国の屋根を横断すれば、驚くような村々、家々が絶えることなく続く。
その祖先はどうしてこんな奥山に住み着いたのか。山家の残らずすべてが何らかの生業を持ち、土地を耕し、世々続いているということを、この道は気付かせてくれるのだ。
私のような都市生活者の想像力というのはとても狭い。自分の仕事、通勤、生活空間、およびメディアだけが想像力の源泉だからだ。そして魚が水の中しか知らないように、都市でしか生きていくことができないと思い込んでいる。
だがこの日本で人間が生きていく方法はおそらくもっとたくさんあり、生きていくための場所もたくさんあるのだ。それが夢想ではなく現実なのだということを酷道は教えてくれる。無論、都市生活者とっては現実逃避でもあるのだが。
この日も私はその現実逃避ともいえる小旅行のため、木屋平村へとやってきた。
四国の霊峰剣山の東の登山口にあたる村である。
今回の目的地はその剣山ではなく、8kmほど東にある中尾山という場所だ。
ここ中尾山高原にはグラススキーのゲレンデがある。
木屋平村からつるぎ町へ抜ける古い峠の途中にあるなだらかかな斜面だ。地形だけを見れば村があってもおかしくないが、古い生活の気配はなく、スポーツやレジャーのために開発されたリゾート地のような雰囲気の場所だ。標高が1,000mを超えるので住み着くことはできなかったのだろうか。
もしかすると村の茅刈り場だったのかもしれない。
この日もロープ塔が稼働していて、グラススキーを楽しんでいる若者がいた。
この高原の一角に、民俗資料館がある。
資料室には林業関係の民具がメインで展示してあった。
これは
木材を運び出すためのソリのような道具だ。このフレームの上に玉切った丸太を積み上げ、運ぶのだ。
もちろん地面の上にこれを置いて、上に丸太(数百キロの重量がある)を置いたら微動だにするものではない。木馬の動線には鉄道の枕木のように丸太が並べてありその上を滑らせて動かすのだ。そのような枕木のある道をキンマミチと呼んだ。
道具類は充実している。これらの形状に地域性があるのかは、いまのところ私には判らないので、とりあず写真だけ撮っておこう。
説明板には左から「
鎹は木馬に積み上げた丸太が崩れないように相互に固定するための金物。
とちかんは丸太の木口に打ち込んで、引っ張るための綱をつけるための金物。
「杉皮
「
名札がついていない道具も多い。
「鋸一式」、「鶴口」、「とんこ付き鳶口」
すべて、貴重なものなのか平凡な民具なのか判断できなかった。
この高原にはグラススキーのほかにキャンプ場、テニスコート、多目的運動場などもあり、子ども向けの遊具もある。
これはグラススキーゲレンデの横にあったローラー滑り台。
直線なのでたのしく滑れそう。
チューブ滑り。
通常は複合ユニット遊具に取り付けられるパーツであって、山の斜面に直置きされるのは珍しいと思う。
園内には他にも複合遊具がある。
こちらはカーブしたローラー滑り台、ステンレス滑り台、チューブ滑り台の3つの異なる滑りが楽しめる。
チューブ滑り台の様子。
太鼓雲梯付き滑り台。
滑降部は徳島でよく見かけるFRP樹脂版。
登り方は太鼓雲梯だけでなくハシゴでも登れる。
(2004年09月11日訪問)