海岸線を離れてふたたび内陸部へ。
きょうは岩国市に宿泊予定なので、岩国方面へ向けて戻りつつある。ちょっと効率が悪いが、せっかくだから途中でもう少し寺を見ていこう。
田布施町大恩寺になぜ立寄ろうと思ったのかはっきり思い出せない。事前にお寺の情報を書き込んだドライブマップには「現代建築コンクリ本堂」とメモがある。
現代建築のコンクリ本堂の寺に、遠方からわざわざ立寄るというのは普通に考えたらナシだと思うが、私としては「一応見ておくか」となるのである。
なぜかといえば、仏教の伝統的意匠を無視したポストモダン的な本堂というのは、昭和に流行しその後断絶したムーブメントと見なせるからだ。よく記録しておかなければ、近い将来失われてしまうタイプの物件と言ってもいい。
山門の薬医門を入ると、その本堂は正面にあった。
平屋の陸屋根でファサードを看板建築のように高くしてある。
共同墓地の霊廟などにありそうなデザインだ。
本堂の左側には庫裏。
本堂の右側には、用途不明の平屋の建物があった。
倉庫だろうか。それにしては造りが凝っている。
境内の一角にある飢民の供養塔。
享保の飢饉(1733)は萩藩の総人口の39%が死亡したといわれる大飢饉だったそうで、その惨事を記憶するための建てられたものだという。
碑が建てられたのは飢饉の31年後の明和元年(1764)のことである。
境内の隅にある鐘楼。
下部の袴腰部分が石垣でできているから、ここを基礎と考えれば厳密には平屋の建築だが、ここまで楼状のデザインになっていれば鐘楼と言っていいだろう。
2018年現在、本堂はどこにでもあるような無難な入母屋屋根に建て替えられてしまっている。
(2003年09月03日訪問)