清流通りを進んで行くと、神社の参道を横断している場所に出た。
わりと大きそうな神社なので入ってみることにした。
参道の狛犬。
なかなかユニークな部類だと思う。
しばらく進むと
短い石段があり、その先のうっそうとした森の中に社殿が見えてきた。
あっ、また重層の拝殿だ。しかも左右に2棟並んでいる。
そろそろこの様式の拝殿にも名前が必要なのではないかと思い始めているが、まだどう呼べばよいか決められる段階ではない。私がこの地域に住んでいたなら「ああ、重層の拝殿は、歴史的にも知名度的にも○○神社が代表的だから、○○造りでいいんじゃない?」と言えるのだと思うが、現状ではまだそこまでの知見がない。
それ以前に、神社の建築で「拝殿の型式を表す用語」ってそもそもないのじゃないか?
拝殿の右手前には水盤舎があり、山水が掛け流しされていた。
飲んでみたら濃厚な味のある水だった。ミネラル分が多いのか、とにかく「濃厚」としか言えないような水だった。
手前は菅原神社、奥が二所山田神社になっている。
「二所山田神社」は、元々は二所神社と山田神社の二柱だったのを合祀してひとつの神社にしたものだという。
先に、二所山田神社のほうへお参りしよう。
拝殿の中は絵馬殿になっている。
これは文明開化をテーマとした絵馬。大阪の名所を描いてあるようだ。
平知盛を描いた絵馬。明治23年に奉納されたもの。
おそらく旅順要塞攻略絵馬でないかと思う。
格天井にも花鳥画が描かれている。
拝殿内部の様子。
重層になっているからといって、2階があるわけではない。
原始的なおみくじの自販機。
この神社の隣りには、女子道社というおみくじ業界のトップシェアを持つ会社がある。女子道社は、明治39年に当社の宮司が設立した「大日本敬神婦人会」という組織がの活動資金を捻出するために作られたという。
女子道という名称は機関誌の名前だった。
二所山田神社の本殿。
続いて、摂社の菅原神社。
こちらの拝殿も似たような重層構造。
その本殿。
菅原神社の横には篭り堂のようなものがある。
その隣には神輿庫。
神社の裏手のほうへ回ってみると、御神水というものがあった。
中を覗いて見ると予想外に奥行きがあり、カーブしていて先が見えない。
もしかして潮音洞と同じように山を貫通しているのかもしれないと思い、車にヘルメットとライトを取りに戻り、改めて入洞してみた。
20m以上は進んだろうか。途中から足下が悪くなってきたので引き返すことにしたが、まだ奥がありそうだった。
これは横井戸を掘ったがあまり水が出なかったものか、あるいは、潮音洞の試掘なのではないか。
参道の途中にあった忠魂碑。
砲弾型の奉納物。
昔はもっと随所にあったものが減っているような気がする。
参道の途中にあった護国神社。
護国神社の隣には鹿野遺族会館という建物がある。
(2003年09月04日訪問)