社殿は東面していて、参道は社殿中心線の延長に100mほど伸びている。
参道には石灯籠が並び、途中を山陽本線の線路が横切っている。
参道の先に楼拝殿が見えてくる。
二の鳥居。
その両脇に斜めの角度でもう二つ鳥居があるのが謎だ。
境内は丘陵を背にしているので、緩い階段を登った上に社殿が建っている。
石段の手前にあった水盤舎。
井戸と水盤が両方ある水盤舎で、こういうタイプは時々見かけるのだが、ここでは井戸から水盤舎への掛樋が石造なのが立派だ。
短い石段を登ると楼拝殿。
楼拝殿は大内文化(室町)に由来するものだという話があるが、この物件はどうみても江戸後期くらいの建物にしか見えない。
また多くの楼拝殿が拝殿的なものであるのに対して、この物件は楼門に翼廊が付属したと形容できるもので、純粋な楼拝殿ではないのかもしれない。
拝殿は別にある。
こちらがその拝殿。
そういう点では、この神社の楼門と拝殿の関係は、防府天満宮に近いものと言えるだろう。
楼拝殿の左側には砲弾型忠魂碑。
そのさらに左側には神厩舎と思われる建物がある。
吹き放ちの建物だが、3間の間取りに小さな扁額がかかっている。左から「引馬」、「小行司」、「大行司」とある。社務所の前に土俵があることから、奉納相撲と関係するのかもしれないが、詳細は不明。
拝殿の後ろは凸型になっていて、凸部の両サイドには末社が付き出している。これはめずらしい造りだ。
本殿は檜皮葺きの三間社流れ造り。
拝殿の右側。こちらにも末社が付属している。
本殿の左側には北方護国神社という末社がある。砲弾型忠魂碑もこの神社に関係したものなのだろう。
本殿の右側には八幡造りを思わせる末社がある。
名前は判らなかった。仏教っぽい造りだ。
この末社の奥には蔵がある。中には山車を解体した資材と思われるものがしまわれていた。
拝殿の左側には社務所。
(2004年05月04日訪問)