以前、カレンの正月祭で興味深いパネル展示を見かけた。三角形平面の建物と、見慣れない衣装を着た人々の写真だった。カレン仏教カルトのひとつ、テラコンの写真だった。
その後、GoogleMaps の衛星写真でひたすら平面が三角形の建築物を探し、ようやくその場所を突き止めた。一人で訪れても言葉の問題があるので、仕事の昼休みに通訳さんを引き連れてその場所を訪れてみた。
で、村のシンボルでもある三角形の建物は、なくなっていた。
なんでも台風で倒壊してしまったとのこと。
現在、コンクリート製の布基礎の建物に建て替えているところらしい。
この建物は仏堂というよりは、テラコンを紹介するミュージアムなのだという。
ロバート・モンキー・ベンという行者が出てきて案内してくれることになった。テラコンの村の代表のような感じの人だ。
彼は9年前にラオスから来て、いまここで村の建設を指導しているとのことだった。彼はミャンマー語を話さず、意志疎通できる言語は英語なので、私もなんとなくはわかるが、彼にとっても第一言語ではないため、情報が薄まってしまってよくわからないことも多かった。
村人の髪飾りがおもしろい。
以前、レーケーという仏教カルトでもこんな鉢巻きをしたお坊さんがいた。同じく仏教カルトのプゥテキでも鉢巻きをした男たちを見た。
この鉢巻きはカレン族の男の伝統的な装束のようだ。
テラコンもレーケーも1860年ごろに発生したとされる歴史のある仏教系カルトだ。往々にしてこうしたカルトでは、信者は伝統的な風習と道徳観を守りながら生活する。そのため、町のカレン族に比べて、衣装はより伝統的なのである。
村の集会所に案内してくれた。
この建物は奥が三角形の聖堂になっていて、手前には拝殿のような板の間が付属している。
これが三角形平面の部分。
現在、メインのミュージアムが取り壊されてしまったものの、村内には2つの三角形の建物があるという。
だが、もうひとつの建物がどれなのかはわからなかった。(英語の聞き違いかも)
拝殿部分から聖堂をみたところ。
聖堂の内部。
奥に見えるのは教祖の写真か。現在の教祖はネェ師という人物で、チャインセジ郡区チャイドン村に寺を構えているという。
そのほか木彫りの舟のような祭具、手前には三猿の木彫りもある。三猿は古い起源を持ち、シルクロードを通じて西方から日本に伝わったものだとされている。ミャンマーでもときどき三猿のモチーフを見かける。
三角形の建物の由来について訊いてみたのだが、はっきりしなかった。仏教、精霊信仰、キリスト教の3つの信仰を統合するというような意味らしい。
現在建築中の新ミュージアムの図面を見せてくれた。
ただ、本山のチャイドンには三角形の建物はないとも言っていた。ただすべてが、正しく聞き取れたのかどうかがあやふやだ。またロバートが言っていることが彼個人の考えなのか、テラコン教団としての正式な見解なのかもはっきりしない。
ロバートが言うには、テラコンとはミャオ族のことであるという。ミャオ族はカレン州の山岳地帯で生まれ、ラオス、カンボジア方面に広がった民族だとのこと。また、ミャオ、カレン、ビルマ、モン、西欧人の5つの人々は兄弟であるというような話をしていた。
だた、テラコンのことをもっときちんと調べようと思ったら、もっと専門(仏教)的な概念を正確にやりとりできる通訳さんがいないとダメみたいだ。もしそういうチャンスがあればもう一度訪れてみたい。
私の知る限り、テラコン等のカレン仏教カルトは伝統的な生活を送りながら未来仏の到来を待つような宗教で、そうしたカルトはカレン州に断続的に発生しているものだ。そしてそれはビルマ中央政府と対立する地方の少数勢力とみなされることもあった。
テラコンはその中では歴史のあるカルトで160年も続いていて、その勢力範囲はカレン州の山岳地帯からタイにも広がっており、最盛期には1万人からの信徒を抱えたという。
現在、テラコンの本山のあるチャイドンは外国人の立ち入りの制限がある場所なので物見遊山で行ける場所ではない。
最近もテラコン本山と
テラコンの村の民家を見ておこう。
カレン州の田舎の家と特に違いは感じられない。
家の登り口はハシゴになっている。これは野犬など動物が入れないようにするため。
側桁の左右の長さが違うのが伝統的な家屋の特徴だ。
家に上がって最初の部屋は居間や客間で、家族のプライベートな空間は壁の奥の部屋になる。
(2019年03月16日訪問)