私は学生時代に狭山の農家でアルバイトをしていた。いわゆる初夏の茶摘みや、冬の大根洗いなどの手伝いである。
茶摘みというとのどかなイメージだが、今にして思えば男子大学生じゃないと勤まらない重労働だった。なにしろ最低賃金が420円程度の時代に時給1,200円で募集を出していたほどなのだ。その農家で休憩時間に聞いた地域の伝説が興味深く、それがきっかけで私は民話や民俗に興味を持つようになったのだった。
きょうの井戸巡りの最後は、狭山市の堀兼の井戸。アルバイトをしていた農家から近い神社で、その当時にも井戸を見に訪れたことがある。懐かしいなぁ。
神社への道には製茶所の看板が出ている。こういう農家直売の狭山茶はホント美味しいのでオススメだ。
神社に到着したのは18時に近い時刻。
神社の境内は森になっているので、写真を撮るのが一苦労という時間帯になった。
境内の北側に公民館があり、駐車場も十数台は置けるだろう広さなので、車で訪れても心配はない。
私が訪れたときには、なぜか数台の車が止まっていて神社に人が来ていた。
ん? こんな時間に神社ファンか?
駐車場の横には社務所と思われる建物がある。
井戸は神社と社務所の間あたりにある。
堀兼井戸は七曲井と同じすり鉢状の大井戸である。
平面刑は八角形をしていて、直径は7.2m、深さは1.9mという。
中央に縦井戸の跡がある。
斜面は石垣だ。これまで見てきたまいまいず井戸がほぼ土坡だったのでかなり印象が違う。直径も他の井戸に比べると小さい。
平安時代に読まれた和歌に、「武蔵野の堀かね」を詠み込んだ歌がいくつかあり、「堀かね」は武蔵野の枕詞にもなっている。つまり都にも武蔵野のすり鉢状戸は知られ、趣のあるものと見なされていたのだ。
ただし、以前にはこの地域には多くのすり鉢状井戸があったので和歌に詠まれた井戸は特定のものではないと考えられている。
近くにある通常の縦井戸。
すり鉢状井戸が造られたのは非常に古い時代で、縦井戸を深く掘る技術がなかったからだという説もある。
井戸の近くには末社の天満宮があった。
続いて、堀兼神社の社殿を見ていこう。
実はこの神社は小山の上に建てられていて、小山は富士塚にもなっているのだ。凸と凹の両方の形がある面白い神社だ。
門の手前に提灯か行灯を揚げる鳥居のようなゲートがある。このようなゲートに名前あるんだろうか。この神社に限らず他の神社でも見ることがある。
神門は八脚門の随身門。
随身は手前の1間に置かれていて、奥側の1間は土間。
右側の随身。
2面が吹き放ちなのでどうしても痛みがち。
左側の随身。
神門を過ぎると石段があるのだが、そこを登らずに境内の南のほうへ行く。
林の中に神楽殿がある。
末社が3社。
水盤舎。
やや大きい末社が下浅間神社。
この下浅間神社の前が富士塚の登山口になっているのだ。
ではさっそく富士登山を始めよう。
途中の小御嶽神社が、5合目。
山頂に到着。
小山の斜面はけっこう深い森で、夕方じゃなくても薄暗いのじゃないだろうか。
この山は何なのだろう、自然地形にしては不自然な感じがする。古墳か?
山頂の浅間神社。
切妻平入りの神明造っぽい凸型拝殿。
堀兼神社というのは二つ名で、たぶん浅間神社が本来の名前なのだろう。
拝殿の後部。
戻りは正面参道の石段を降りた。
さっき駐車場にいた人たちが社務所の前に集まっていた。
神社内の樹にアオバズクが営巣していて、その写真を撮りに来た人たちだった。遅い時間じゃないと出てこないのだろう。
あたりは真っ暗に近いので良いカメラじゃないと鳥は見えないが、iPhoneで撮影したら鳥のつがいが写っていた。
(2022年07月13日訪問)