大龍寺から県道を300mほど南に行ったところに、秦公民館がある。
この公民館のあたりは微高地だが、公民館の敷地はさらに土盛りがしてある。水害時の避難場所にもなるのだろう。
公民館はRC造で立派。
緊急用の上げ舟でもないかと建物の周りを確認したところ、公民館の裏側に水防倉庫があった。
公民館の裏側にも道路があるが、公民館の敷地はその道路のレベルと1m以上は高くしてある。
さて、この公民館に来た理由はこれ。
爆弾である!
でも、なんでここにあるのかよくわからない。
案内板によれば、朝鮮戦争の時代(1950年ごろ)米軍の爆撃機の故障でこの近辺の利根川に爆弾がばらまかれてしまった。その爆弾はそのままになっていたようだが、1979年にそれらのひとつが爆発し、問題になった。そこで1980年に自衛隊がこのあたりを調べて16発の爆弾を見つけて処理し、そのうちのひとつここに飾られているという。
説明を読んでも、なおよくわからない。
これ、本物だよね。30年も河原に転がってたっていうのもよくわからないのだけど、なんで公民館に残したの?
どんな思想、どんな教訓があるというの?
特に教訓もなく、珍しいから置いておこうっていう時代だったのだろうか。
このあと、中条堤という江戸時代の堤防を見たのだけれど、ちょっと日が暮れてきてしまったので、写真は撮らず、後日出直すことにした。
(2023年01月31日訪問)