安田川の谷あいの道を走っていたら、映画のポスターが貼られていて「
ちなみに映画館の前の道は、魚梁瀬森林鉄道の線路跡。
きょうは平日の昼間なので上映はしていないようだが、館長の豆電球さんが出てきて建物を見せてもらることになった。
ここ大心劇場は全国でも数が少なくなった、田舎町の単館映画館だ。私が徳島で訪れた田舎の劇場(の跡)はほとんどが芝居小屋として造られ、末期に映画を上映するようになった小屋だったが、大心劇場は昭和58年(1983)にできた映画館で、最初から純然たる映画館だった。
看板はいまでも手描き。館長さん自らが描いている。
玄関を入ると古い映写機が展示されている。四号映写機というもので、館長のお父さんが町内で経営していた中山劇場という映画館で使われていたものだ。
中山劇場は借地に建てられていたため、映画が下火になってきたときに土地を返して、現在地に新たに劇場を建てた。中山劇場はここよりもさらに上流にあったそうだ。
映画の全盛期にはちょっとお金のある家が映画館を始めたので、どの村にも映画館があるという状況だったそうだ。
大心劇場はそうした村の映画館がそのまま残ったという希少な存在なのだ。そのため映画のロケに使われることもあり、また、ときどき映画俳優さんが訪れることもある。
菅野美穂主演『パーマネント野ばら』という映画が高知県でロケをしたが、館長さんはそこにエキストラで出演しているとのこと。
内部の様子。壁には映画ポスターがべたべたと貼られている。このへんはちょっとネタっぽいのだけど、ここは決してテーマパーク的な作り物ではなく、本来の映画館なのだ。
「シネコンばっかりになって映画を見て帰ってくださいってのじゃなく、劇場みて、窓口みて、ポスターが貼ってあって、たくさんの色や匂いを感じ取ってもらえる小屋にしたい」という館長さんの考えでデコレーションされている。
私が徳島で見たくて探し回り、ついに見れなかった村の映画館はどこもこんな感じだったのだろう。
その古い映画館に高知県で偶然めぐり逢い、運良く中を見せてもらっている・・・まさに一期一会の貴重な体験だ。
「むかしは映画館ごとに個性があった、入れ替えがなかったから朝から晩まで劇場におった、いまの映画館は管理されすぎとる。もっとお客さんに自由に入ってもらえる劇場があってもいい」
ホールの片隅にはソファーが置いてあり、お客さんが持ち込んだお弁当を食べてもいいようになっている。
お願いして2階の映写室も見せてもらった。
狭い映写室に大きな映写機が1台。
『ニューシネマパラダイス』を彷彿とさせる空間。
映写機が1台ということに不思議に思われる人もいるだろう。映画のリールは1つ15分程度。映画を途切れなく次のリールに切り替えるために通常は2台の映写機を交互に使う。
だが大心劇場は「流し込み」という上映方法をしていた。1つのリールの終わりが近づくと、残りのフィルムをほどいてたるませておき、その最後の部分と次のリールの最初の部分をテープでつないで流し込むのだそうだ。
雑然とした映写室の机。
オレンジ色のリールバッグは上映中の作品なのかな。
映写室から劇場内を覗くための小窓を見せてもらった。
なんだかこのビジュアル自体が映画のシーンのよう。
「あと2年したらフィルムの映画が完全になくなる、そうなったらウチみたいな劇場はやめるか、古い映画しかできなくなる、さびしいですね。日本は新しいもの、新しいもの、どこまでいくんかな、でもあと2年はがんばってやるつもり」
そういう館長さんの考えが隅々にまで表現されたすばらしい空間だった。見学させてくださり、ありがとうございました。
(2012年03月19日訪問)