3月末の暖かい日。鳴門市に来ている。
きょうは旧撫養街道を辿りながら、古い自動販売機とガソリンスタンドを見ていくつもりだ。
瀬戸内海に橋がなかった時代、鳴門市は四国の玄関口であった。鳴門市を起点とする撫養街道は、お遍路さんが第1番霊場を目指して歩いた道だ。以前、夜の風景を紹介したこともある。
車で通るには狭い道だが、多くの人が歩いた巡礼道なので、江戸時代から続く遍路の歴史を感じさせる風景があるし、時代が下っても古いガソリンスタンドや古い自動販売機が多く残っている道でもある。
いまは鳴門市から歩き始めるお遍路さんはほとんどいないのではないか。四国に入る方法が高速バスか飛行機になってしまったからだ。
かつては高徳線の板東駅にたくさんのお遍路さんが降り立った時代もあったが、いまは無人駅で利用する人は少なくなった。
写真は撫養街道の板東駅入口。かつては映画館があるほどにぎやかな場所だった。
四国八十八ヶ所の最初の霊場、霊山寺は撫養街道から少し引っ込んだ場所にある。
街道に面して大きな石門があるので見落とすことはないだろう。
こちらが第1番霊山寺。
初めて歩き遍路をする人はここで納経帳、菅笠、金剛杖を入手して、歩き始めればいい。
第2番への道は県道を歩けば近道だが、いったん旧撫養街道に戻り、昔ながらの遍路道を進むのがいいだろう。
そうすることで「遍路道」という特別なルートの見つけ方が自然にわかってくる。
撫養街道を少し進むと、すぐに第2番極楽寺の参道の入口に着く。1番と2番は1kmほどしか離れていないのだ。
目印の釘貫門があるので門を潜って進む。
すると、参道から北側にベーハ小屋が見える。
元農家だが、主屋はモダンな住宅に建て替えられているので、ベーハ小屋とはミスマッチだ。
越屋根は突き上げ戸で、妻の破風が切れていてそこにも突き上げ戸の痕跡がある。越屋根の妻に開口があるのは「折衷式」というタイプだと聞いたことがある。ただし、本当に折衷式なのかどうかは、室内の天井を見てみないとわからないと思う。
ベーハ小屋を過ぎると、すぐに第2番極楽寺である。
ここで紹介したベーハ小屋は、少なくとも2012年までに撤去されてしまった。
また、このころ使ったデジカメが画角が狭く画質も悪いものだったので、あとで見ると使えない写真だらけになってしまっている。徳島の古いガソリンスタンドと自販機については、もう紹介する機会はなさそうだ。
(2004年03月28日訪問)