八多川のほとりにある小さな公園「庄田公園」。
公園といっても遊具などは一切なく、円形のベンチが1基あるだけ。
子供がボール投げなどしようものなら、たちどころにボールを川に流すハメになりそうな、およそ子供向けではない公園だ。
その公園の一角に水車小屋がある。
聞き込みをしたところ、この水車小屋は改修以前からここにあったものだそうだ。名前は特になく、単に「水車小屋」と呼ばれていた。
この水車小屋は9軒が利用していて、昔は町内の誰もが水車で精米していた。
現在は臼は2基だが、以前は3基だったという。
水は800m上流の堰から取水される農業用水からの分水。公園の遣り水を水門で塞ぐことで、水輪へ誘導する。
水輪は金属製。
実は私は水車小屋の水輪で一番好きなのが金属製なのだ。メンテを考えると現代ではこれがもっとも合理的だし、実用本位の水車小屋ってだいたいが金属の水輪だから!
建物の外装は校倉というかログハウスっぽいのだけど、これは構造材ではなく、単なる壁面の装飾。基本的には柱梁構造だ。
ここは八多の水車群の中で、唯一錠がかかっておらず、中を見ることができる。
公園だからか。
聞いたところでは、八多川ではここから下流には水車小屋はなかったそうだ。
情報としては中津峰山への登り口のほうに大きな水車小屋があって製粉を請け負っていて、その家は外に出て製麺会社になったという話を聞いた。それは八多川の最上流の鹿ノ首という集落のことなのか、あるいは如意輪寺がある金谷川のほうなのかははっきりしない。簡単に探してみたけれど、それらしい遺構はみつからなかった。
それにしても八多川にはなぜこんなに水車が残ったのはなぜなのだろう。
もしかして、徳島市内でも同じような条件の川を丹念に訪ねたら、水車小屋の跡は見つかるのだろうか。
(2006年12月16日訪問)