多々羅川の最下流に行ってみる。
そこには「地蔵橋」という古い橋がある。近くにあるJR牟岐線の地蔵橋駅の名前もこの場所から来ているのだろう。
この橋を渡るのは現在の県道136号線の旧道、言ってみれば国道55号線の旧道の旧道。羽ノ浦町まで続く街道の古いルートだ。
地蔵橋の名前の由来はたもとにある石仏の地蔵尊。
四国巡礼の遍路道のあづり越がすたれ、徳島市内を経由するようになってからは、18番札所を目指すお遍路が多々羅川を渡河する場所だっのだろう。そうした歴史があるからか、かなり風情のある場所になっている。
「多々羅川改修工事 絶対反対」という看板があるので、近々大胆な河川改修が実施されるのかもしれない。
橋の北詰には商店がある。
橋の下流側。
多々羅川の特徴でもある、川へ降りる階段はここにもある。
ここから下流は大松川と名前が変わる。
小さな堰があるのだが、そこから先は汽水(海水が遡ってくる範囲)なのではないか。
水門が見える。
多々羅川はふたたび大松川と分れてこの水門の先へ続いている。下流にある水田に淡水を供給するためだ。この水門方向が多々羅川の本来の流路と思われる。
大松川はおそらく多々羅川の氾濫を防ぐために後から開削された放水路なのだろう。
橋のたもとにある地蔵尊を見てみよう。
私が四面仏と呼んでいる形態の石碑型の石仏だ。
左側は宝篋印塔のレリーフ。
裏側は不動明王になっている。
残りの1面は確認し忘れた・・・。
(2007年11月09日訪問)