大枝集落という急傾斜集落に入った。
落合集落は落合峠→棧敷峠→六地蔵峠という帰路ルートの登り口にもなっているのでなんだかんだで何回も行っているのだけれど、この大枝集落に来たのは初めて。
なんで今回入ってみたかというと武家屋敷があるという看板を見かけたから。
文化財の看板。なんか説明の前半部分が、何を言ってるのかちっとも頭に入ってこない。
たぶんだが、土佐の長宗我部氏の影響下にあった祖谷山を、阿波を治めていた蜂須賀氏が支配下に置いたときに活躍した武士の家系の屋敷ということのようだ。
元々ここにあったのではなく、同じ集落内のもっと低い場所から1990年にこの場所に移築し、そのときに復元した。もとの建築年代は1763年。
看板には武家屋敷とあったが、これって「武家屋敷」っていう感じではなく「御殿」って言うレベルではないのか。ニワと呼ばれる土間がなく、入口が式台玄関しかないんだけど? 普段は生活しておらず、身分の高い人がたまに視察に来て宿泊する本陣みたいな建物として造られたのか?
いまの形に復元する前に住人が住んでいたころはどうなってたんだろうか。農家だったとすれば土間のない間取りってかなり使いづらそうだ。
そういえば渕名で見たタバコ農家にこんな間取りの家があったな。
唯一の玄関である式台を入ったところは当然座敷になっている。この家で一番格上の部屋なわけで、こんな間取りの家、どう住んだらいいのさ。
この座敷の左には1間の狭い部屋(廊下?)がある。よくある武者隠し的な部屋だけど、採光があり明るい部屋として復元されている
座敷の右側には広い板の間のナカノマ。居室であり、食事の場所だったのだろう。
そこからさらに右側には縁側のある畳の座敷が2室続き、その北側には納戸か寝間みたいな部屋と勝手がある。
この4部屋は田の字ではなく、南側の2室と北側の2室の間には廊下があるという不思議な造り。
北側の部屋と南側の座敷をへだてる謎の廊下。
勝手は裏側にあって、屋敷の規模に対して貧弱な竃があるだけ。
竃の周囲は竹のスノコ床。
寝間かと思われる一室が民具資料室になっていた。
喜多家の模型があった。
なんだか廊下ばかりなのだ。
ムシロ織り機。
藁を編んで作る
木炭なんかをくるむやつ。
面白い形のカラサオ。
小枠がたくさんあるので、かつては養蚕もしていたのかもしれない。
一番右にある居室。
ここも座敷みたいな造りでちょっと格が高そう。
喜多家の敷地から見渡した祖谷山の一般的な民家。
喜多家と同じような特徴を持つ家がほかにもあるのだろうか。
ほとんどが茅葺き寄棟の農家だ。
(2010年08月02日訪問)