落合小学校から北方向を見ると、急斜面に貼り付くように集落がある。落合集落だ。
重伝建については当サイトではこれまでも度々ネガティブな書きかたをしてきた。保護が必要な建築物や風景を作り上げた産業・生活・文化を永続させるのではなく、町を観光客相手の土産物屋やカフェ、民宿などに置き換えるツールとしてしか機能していないと感じているからだ。
ごく初期の重伝建は「日本には残したいこんな良い場所がまだあるんだ、国民にも知ってほしい」という素朴な意義があった。日本の地方を紹介するのがテレビや旅行雑誌程度だったころには必要な仕組みだったと思う。だが21世紀になってからはBLOGやSNSという集合知によって地域に対する解像度が格段に上がった。いまこれ以上にディズニーランド的な観光地を増やすことが必要なのか、私にはよくわからないのだ。
落合に関して言えば、それまで祖谷山観光では西祖谷山村でかずら橋を見て帰っていた観光客を、そこから15kmも20kmも山奥の東祖谷山村まで足を運ばせるという意味で、地域としてはなんとしても重伝建にしたいという強い希望があったのだろう。
それはよくわかるので否定するつもりはまったくない。なんなら、落合を重伝建にする要件のアリバイ作りで行われた段畑の石垣の積み直し活動に、個人的に参加したくらいだからね。
でも一方で私は消え行く村も見てきてしまっている。
山家を買おうと思って通っていた山村は、私が通っているあいだに廃村になってしまった。もう剣山地の山奥では人が住み続ける目的がなくなってきているのだ。
そこで観光業で山村を継続させようというのがこの重伝建指定なのだが、産業構造の改変が文化財行政の目的になっていることにモヤモヤしてしまうのである。
落合集落で見かけた麦の脱穀。
祖谷山の集落では麦やジャガイモなどが米の代わりに食べられてきたのは事実だ。実際、県西のタバコ農家では生活のための麦のはさ掛けをいくつも見てきた。
でもひとつのはさ掛けにこんな人数で仕事をしているのを見ると、これって生活のためにやってるの? もしかして保存会とかの活動?とひねくれた見かたをしてしまうのだった。
落合集落の標高の高い場所から見た、重伝建でない祖谷の集落。
(2010年08月02日訪問)