あっ、あああ~、まさか、そんな、いや、その、心の準備がまだ‥‥。
国道2号バイパスから近道をしようとして寺の西側から斑鳩寺に近づくと、塀越しにとんでもない形をした三層の屋根が目に飛び込んできた。「生きているうちにもう一度、さざえ堂を偶然見つけたいものだ」という想いは今さら告白するまでもないが、ついにその時が来たのか。
あの屋根の形はさざえ堂以外にありえない、いやこんな有名な寺にあるわけがない、だが関西の人はさざえ堂を知らないのかも…。瞬間的にさまざまな思惑が駆け巡る。
それほどこの建物の外見はさざえ堂と似ていたのだ。しかし寺のすぐ横まで来てみると、その堂は別の建物の一部であることが見て取れた。
短かい夢であった。
その堂は太子堂で、正面は普通の本堂。その後方が三層の堂になっているのだ。
三層の堂の内部がどうなっているのかはよくわからない。太子堂の正面から乱入できそうではあったが、外陣に警備用のテレビカメラがあったので、無用なリスクは避けることにした。堂の後方の棟の接合具合からしても内部が2階以上になっているとは考えにくかったからだ。
あらためて寺を紹介すると、
山門は八脚門の仁王門。
阿形像はおかしな目つきをしている。
八脚門を入ると正面に本堂。
三重塔。純和様で国重文。三重塔としては大きな部類である。
ほかに、宝物館、鎮守社、納経所などがあったかも…。さざえ堂モドキにスカされたショックで、境内の観察も無気力になっていたのでよく思い出せない。
境内にあった伽藍配置図。ただし江戸初期の様子である。山門、本堂(=講堂)、鐘楼、三重塔あたりは現在も残っている。
鐘楼。
境内の裏手のほうに本坊がある。この付近の雰囲気は、伽藍配置図の面影がある。
境内の東の壁にそって西国三十三観音のミニ霊場があった。
伽藍配置図では境内の東側に塔頭が並んでいるので行ってみたが、住宅地になっていた。
東側から境内を見た様子。
この風情からして決してないがしろにできる寺ではないのだ。だが私としてはどうしてもあのさざえ堂モドキがゆるせなかった。寺の東側から近づいていれば、悪い印象は持たなかったかもしれない。
(2001年04月29日訪問)