陸奥国分寺跡

東大寺式伽藍の礎石がわかりやすい。再建本堂は重文。

(宮城県仙台市若林区木ノ下3丁目)

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陸奥国分寺。仙台駅の東方2 kmほどのところにある。周囲は史跡公園になっていて、その範囲は左写真(国土画像情報より引用)の緑色の部分である。

陸奥国分寺は奈良時代に聖武天皇が建立した国分寺としては最北の寺にあたる。伽藍のタイプは塔が回廊の外に建つ東大寺式。

いったん荒廃したものを藤原秀衡が修復、源頼朝が焼き打ちしたあと、伊達政宗が再建し現在に至っているという。

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旧南大門の礎石の上に茅葺き屋根の八脚門が建っている。柱の風化の様子などから見て、確実に江戸初期までは遡りそうな門で、県指定の文化財に指定されている。

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内部の仁王はかなり特殊。仁王像といえば普通は筋骨隆々としているもので、たとえ稚拙な像であってもそれなりにたくましそうに作られているものだが、この像はどう見てもそういう風情ではない。あばら骨が浮いていて下腹が出た姿はまるで餓鬼のよう。顔もかなり人間離れしていて無国籍な感じ。

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吽形像も不自然にあばらが浮いている。三葉虫が張り付いているみたいだ。

「何も見ないで作ったらこんなんなっちゃいました~」という感じは、個人的には嫌いではない。神仏というのはなにも慶派みたいな写実的なものだけではなくて、異国の怪獣みたいなものでもいいではないか。美術館のような洗練された西国の寺と違って、東北の寺には原初的な信仰があるような気がする。

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境内には旧国分寺の礎石がわかりやすく露出していて、旧伽藍を忍ぶことが出きる。

左写真は複廊の礎石。複廊とは幅が二間ある回廊のことである。

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方三間の袴腰鐘楼。重苦しい建物だ。

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伊達政宗が泉州(大阪)から宮大工を招いて再建したと伝える本堂。桃山様式をよく伝えていて国重文に指定されている。

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整った外見を持つ美しい堂だが、正宗の名前がなかったら国重文までいく建築かどうかはやや疑問。ただし県重文の価値は確実にあるだろう。

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本堂前にあった渥美清の石像、

もとい、狛犬。

本堂付近には、他に護符売り場、水盤舎がある。

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本堂のある境内から道路を挟んだ西側には林があり、そのなかに准胝観音堂があった。

さらに西側に国分寺の本坊(?)があるようなので行ってみる。

(2001年09月23日訪問)