西方寺。通称「
場所は青葉区の外れも外れ、山形県との県境に近い山の中で、周囲はにはまったく集落も無く山林がどこまでも広がっている。どう見ても由緒ある寺のありそうな立地ではなく、せいぜいスキー場か牧場くらいしかなさそうな山奥なのである。
ところが行ってみてびっくり。知人の言った通り駐車場(無料)はほぼ満杯。門前は参拝客で満ちあふれているではないか。
門前には宿坊(というか民宿)も何軒もあり、名物の出来立ての厚揚げには列が出来ている。
さらに驚くのは、参詣している客層。若いカップルが多く、次がファミリー層。私のような寺マニアはまったく似合わない寺なのだ。そのにぎわいぶりは、とても山の中の寺とは思えない。
びっくりしつつ、とにかく境内へと入る。
山門は二重門ですこし背が高すぎる気もするが、門前町の構図にぴたりと収まって違和感はない。
二重門を過ぎると、右側に鐘堂。正面に香炉、左側には水盤舎、納札所、庫裏がある。
人形がおみくじを運んでくる「カラクリおみくじマシーン」を発見。ただしカラクリは機能しておらず、おみくじの入った箱が置いてあるだけだった。年代的には古そうだ。
旧本堂の
六角の重層の堂で、さざえ堂マニアの血が騒いでくる怪しい堂である。
内部は自由に参詣できる。かなりぐっとくる作りなのだが、隅々まで見てもさざえ的な要素はなかった。堂もあまり古いものとも思えず、江戸時代はおろかせいぜい戦前から明治くらいまでしか遡らないのではないだろうか。
なんというか、こう言ったら失礼なのだが寺の全体の雰囲気もとても平安時代まで遡りそうな感じではない。
さて、ここまでで旧本堂エリアの紹介が終わった。この西方寺は旧本堂地区と新本堂地区に分かれていて、新本堂地区へ行くまでのあいだには、またにぎやかな仲見世が続くのだ。
境内図。左下の小さな六角堂が、旧本堂の貞能堂。この部分通路や堂が、参拝客のボリュームにあわなくなったため、すべてをスケールアップして作られたのが中央にある新本堂なのである。
何もかもが大きく作られた新本堂地区。これなら正月の初詣でで10万人くらいの人出があってもさばけるであろう。(駐車場と途中の道がどうなるかは想像したくないが‥‥)
新本堂の入り口は木造の釘貫門。門を入ると左側に水盤舎、線香売り場。
新本堂の形式も貞能堂をそのままスケールアップしたような形。木造でセンスは悪くない。
本堂の右側には寺務所。案内図によれば本堂の後方にも駐車場があるようだ。
本堂に上がってみると、やはり若いファミリーの方々などが外陣で手を合わせているではないか。意外と言っては失礼なのだが、今の若い人がこうしてお寺に足を運んでいるのが不思議でならない。どういう信仰をもって参詣しているんだろう。ちなみに私には信仰というものはないし、寺社に対して何か祈願するということもないので、彼らがまぶしく見えてしまう‥‥。
五重塔。本堂の右側にある。意匠はとても優れている。どこか(出羽三山神社あたり?)の塔のコピーかもしれない。
初重には来迎柱がありその上に心柱を載せた内部構造になっているそうだ。
この一角も相当に広いスペースになっている。
塔の前には「不思議玉手箱」というお寺の由来などを説明する博物館があった。入館料は200円。
内部は一部屋しかないのだが、音楽、映像、カラクリなどを使った楽しい展示になっていて、入館料は妥当な感じだ。
定義如来の由来を説明するジオラマ。模型の中にフォログラフの人物が浮かび上るカラクリだ。
この寺を一言で説明するならば、「流行り神」だと言っていいだろう。流行り神というのはハッキリとした定義があるのかどうかはわからないが、要は「対象となる寺社の、歴史・格式・文化財・見どころなどとは不相応に、特定の地域でだけ熱狂的に人を引きつけている寺社」というようなものである。本サイトで今までに紹介したなかでは日乃出不動、最上稲荷、嫁いらず観音院、首無地蔵などが流行り神であろうか。
平家の落人が開山したというのも、この地方に落人伝説があるところまではいいとしても、寺の由緒としてはどことなくまゆつばな感じで、どちらかというと幕末か明治ごろに降って湧いた寺なのではないかという印象だ。だが少なくとも過去100年くらいは流行っているようであり、現在もその勢いは衰えるところを知らない。関東以北では類いまれな巨大な流行り神であり、流行り神の何たるかを理解するのには貴重なスポットだといえるだろう。
(2001年09月24日訪問)