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野神社から少し北のほうへ行ったところにあった八幡神社。
この神社に辻時計があることは、少し前に気付いていた。
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時計は道路に向かって外向きに設置されている。南側からの道路がT字路の突き当たりになる場所にあるので、とても目立つ。
もっとも、いくら目立つ場所にあっても、自分の目に入ってくるものを理解することができなければ、実際にはものを見ることはできないのだ。
はたしてこの道を通るときにこの時計を認識できる人はどれだけいるのだろうか。
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現在でも小さな時計が取り付けてあり、ちゃんと辻時計としての機能を果たしている。
かつてはこの穴いっぱいの大きさの時計が取り付けたあったのだろう。
柱部の正面には「國實(国実)青年団」と書かれている。時計の上部には旧日本海軍のシンボルマークが付いており、デザイン的にはきわめて軍国色の強い物件である。
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側面には「皇紀二千六百年記念」の文字が見える。土台部分にも海軍のマークがある。
意匠は古典復古様式。全体のバランスも良好で、まれに見る美しい辻時計だ。
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辻時計の近くには「御大典記念」とかかれた石橋もある。
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表面はモルタルの洗い出し仕上げだが、よく見ると細部に驚くほど細かい細工がされている。
石井町~吉野川市鴨島の付近にはモルタルによる非常に細かい細工を見かけることがあるが、同じ職人の手になるものなのだろうか。
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つづいて、この辻時計がある八幡神社について見ていこう。
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境内は広々としていて、子どもの遊び場にもなっている。
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拝殿は大きな唐破風向拝がついた入母屋造。
側壁には戸板がなく、筋違格子で素通しになっている。
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拝殿は凸型。
飛び出した部分は幣殿の機能を持っているのだろう。
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拝殿から本殿へは橋懸かりがある。
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社務所、兼、集会所。
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集会所の前には滑り台とブランコがある。
滑り台は大永ドリーム社の標準タイプシングル台。
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境内にはほかに遊動円木もある。
側面に「H15.8」とペンキ書きがあるのでそのときに塗り直されたのだろう。作られた年とは思えないので。
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この神社の隣には醤油工場がある。
燃料かなにかのパイプが公道を横切っている。
神社の横には大きな醤油蔵もある。
神社の廻りの道路がやたらスペースがあるが、秋の例祭(11月3日)にたくさんの露店が出るためのスペースなのだそうだ。
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この醤油工場側の敷地にも、かつては神社の境内が広がっていたようで、末社が取り残されている。
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末社の天満宮。
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本殿はこの地方に多く見られる洗い出し仕上げの精巧なコンクリ祠。
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垂木までコンクリで再現されている。
この地方にかなりの数が見られる祠で、辻時計と同じ職人の手によるものではないかという気がする。
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天満宮のとなりにある五角地神塔。
基壇はもしかしたらもとお旅所だったのではないかというような造形。
徳島には神輿巡行の際に神輿が休憩するための石造りの基壇が多く見られる。この地神塔の基壇部分はよくあるお旅所によく似ているのだ。
2018年、すでにこの辻時計は取り壊されてしまったようだ。まれに見る優れた辻時計だっただけに惜しまれる。
(2003年04月05日訪問)