石垣を築いた上に境内がある。
以前に訪れた尾道の寺々を思い出させる風景だ。尾道は三原市の東隣になる。
山門や四脚門。
ただし、元々は棟門だったようだ。
「棟門」とは、二本の柱の上に屋根を載せている門のことである。この写真に見える細い柱(控え柱)を取り除いた状態を想像すればよい。当然、すごく不安定になるわけで、実際は左右に築地塀を接続するなどして、門を支える場合が多い。
案内板によれば、この門は元々は三原市の奉行所の門を移築したものだと書かれていた。また、奉行所の以前には新高山城という城の城門だったのだという。
白塗りの大きな梁が目立つ。この部材を
本堂はひと目見てわかるくらいかなり端正な建築。
内部には、浄土宗の本来の本堂形式である結界の構造が残っているという。外から見ただけではわからないのが残念。
建築年代は江戸中期と新しい。そのうえ、外から見える部分は最近の修理を受けていてるので、あまり歴史を感じさせない。修理からは20年くらいたっているだろうか。
県指定重要文化財に指定されている。
本堂の右側には玄関、2階建ての庫裏。
本堂の左側には、鎮守社×2、六地蔵堂。ほかに、四国八十八ヶ所のミニ霊場がある。
本堂の左側を少し登ると三重塔が建っていた。
昭和63年の再建。案内板によれば、「敷地の広さから木割りを決めて全ての寸法が決定され、心柱は最上層から吊り下げ懸垂構造で重厚優美な外観となっている」とのことだが、個人的な感想としては、鈍重であまり美しくない建築だと思う。九輪が貧弱だ。そもそも「心柱の吊り下げ」なんて自慢できる工法ではないと思うのだが…。「木割り」っていう設計手法には正直、あまりよい印象が持てないなあ。
境内から市街方面を見下ろす。
きっと新幹線の車窓からもこの寺の三重塔が見えることだろう。
なお、本堂の屋根の裏側には途中に段差がある。案内板によれば、
鐘楼。
この寺で一番古そうに見える。50年くらいはたっているだろうか。
(2002年08月26日訪問)