島へ渡る船上からもよく見えた寺。厳島神社の別当寺の大聖院だ。
モミジが参道にはみ出して視線を遮るように生えている。この樹の茂り方は寺の雰囲気をぐっとよくする。もしかしたら造園テクニックなのだろうか。
山門は比較的新しい楼門で、仁王門。三手先の組み物はごちゃごちゃした印象だ。
仁王の裏側の一間部分には石造の五百羅漢がびっしりと置かれていた。五百羅漢石造は、その先の石段にもずっと続いている。
伽藍配置図。
実際にはもう少し堂がある。このときは「平成の大事業」という増改築が進んでいて、大聖院が管轄するすべての堂の写真がパネルに展示されていたが、かなり離れた山上伽藍なども混ざっているため全てを見るのは不可能に思われた。
そもそも、山上伽藍(弥山)はロープウエーも運転が終わっているため、この時点で次回のお楽しみとなっていたのだが。
石段の手すりには小型の摩尼車。
摩尼車というのは、筒の中に教典が入れてあって、筒を回転させると教典を読んだのと同じ功徳があるとされる、チベット仏教の装置だ。
回転するというあたりが、ある種のカラクリ的な装置であって、参拝者がアクティブに参詣できるのがうれしい。
五百羅漢の置き方もうまい。寺巡りが好きな人たちのことを良くわかっている感じがする。
羅漢の前に一円玉でも呼び水に置いたら、参詣客が賽銭を並べるんじゃないだろうか。
石段の途中には鐘堂。
石段を登りきったところに、四脚門の向唐門がある。
境内に入って右手には本堂。
本堂の内部。
実はこの内陣の地下に戒壇巡りが増設されるという予定図が書かれていた。寄付を募っていて一口20万円だった。1万円くらいだったら迷わず寄付していたと思う。
入口と出口をクランク状にして、内部に光が届かないようにうまく設計されているようで、2006年に完成予定なのでぜひまた見にきたいものだ。
それにしても、戒壇巡りをあとから増設できるというのは驚きだ。
本堂の右側には玄関と庫裏。
本堂の左側には観音堂。
石段から見て正面突き当たりにある勅願堂。機能としては護摩堂のようだった。
阿弥陀堂。
「堂」というより「塔」だ。本物の塔が少ない関東の県にこれがあったら、私なら間違いなく「多重塔」としてカウントするであろう。
勅願堂の後ろにあった大師堂。
そこから石段があり、また摩尼車がある。
最初にあったやつよりもサイズが大きい。最近よく見るので既製品のような気がする。
石段を登ったところに見えるのは摩尼堂。
軒の組み物が五手先になっていて、手数を数えようとすると目がしばしばしてくる。
大師堂あたりから見た摩尼殿の様子。
このあたりから見るのが目に優しい。
二層は登れない。
遍照窟という怪しげな洞窟があった。
内部は部屋で、八十八箇所のお砂踏みミニ霊場になっている。
順路の足下にプレートがある。ここに霊場の砂が埋めてあるのだ。この上を歩くことで、巡礼をしたのと同じ効果が得られるという装置だ。
欲を言えば、手すりで仕切るのではなく、トンネル状にしてほしかったところだ。
部屋だと中に入った瞬間に全体が見渡せてしまうため、「巡礼空間」を移動するときの「次に何があるんだろう」というワクワク感がない。
この反省が本堂に戒壇巡りを作らせたのだろうか。
地下室の出口。
それでも、入口と出口が別々になっているということは、明らかに人間の動線を意識した造りであり、巡礼空間として認定できよう。
境内から豊国神社方面をながめた景色。
大聖院にはここに見える本坊のほかに、山上伽藍がある。堂の数は本坊と山上伽藍で同じくらいあるようなので、もしこれを一つの寺として数えたら、堂の数は日本でも屈指ではないか。
続いて多宝塔へ向かう。
大聖院の伽藍配置図に多宝塔があったので、大聖院のページで紹介しているが、位置的には大願寺に近い。
見にくい写真になってしまった。疲れていて歩くのがきついときにありがち。
屋根はこけら葺きで、全体の意匠は和様。年代は桃山時代で国重文。
組み物などの細部や、屋根の勾配などは美しいが、個人的には亀腹(丸い白い漆喰の部分)がもう少し小さいほうがいいかなあ。
(2002年08月29日訪問)