
ヒンドゥ寺からサイッカーに乗って時計塔まで移動した。
この一帯がパアン市で最もにぎやかなダウンタウンで、長距離バスの停留所もこの時計塔前にある。

そこから市場のほうへ。

お寺の総門らしきものがあった。
総門の形式は、3つの建物を載せた形で、ズェガビン山西登山口の寺と似ている。

総門を入ってもすぐに寺は見えない。
でも、仏旗が飾り付けられているから仏教寺院なのは間違いないだろう。

しばらく路地を進むと、広場のような場所に出た。地面にキャンドルを並べて文字を作っている。どうやら今日はお祭りのようだった。
キョロキョロしていたら、お坊さんがやってきて、
「アンタたちはニホンジンか。なら、ついてきなさい」
案内してくれることになった。

最初に行ったのは講堂。
ひとつ前の写真の建物だ。
内部ではお祭りの準備で、信徒に振る舞う料理を作っているところだった。ビニール袋に入った、ココナツ味の油っこいおこわをくれた。

地面はコンクリできれいになっているし、回廊もあるのでサンダルを脱ぐべきかと思ったが、現地の人たちも境内はサンダル履きだった。

「ウチの寺はインド形式ダヨ」
というようなことを言っていた。
確かに、インドのブッダガヤにある大菩提寺の仏塔を模した造りになっている。

本堂ほかの建物はどれも池の中に建てられていた。
ミャンマーのガイド本で「水中寺院」と呼ばれるタイプだ。

その中心となる本堂は、大菩提寺のレプリカだが、下屋があって内部に入れるようになっている。

入口でサンダルを脱いで、本堂の内部に入った。
奥に仏陀のジオラマがある。ここで拝礼するべきという空気だったので、例の三回拝礼をやる。

床にはコーラムが作ってある。色付けしたコメで描いた砂絵である。
建物だけでなく、祭りの方法もインドスタイルなのか。

クジャクだろうか。
下描きとだいぶ違う仕上がりになっているが・・・。

「次はこっちだヨ」
お坊さんが慌ただしく次の堂へ向かう。

メリーゴーランドを思わせる八角堂だ。

八角堂の内部は大きめの砂絵が作られていた。

キャンドルを準備する信徒たち。

キャンドルは油に浸したヒモで、このお兄ちゃんが作っていた。

キャンドルは境内の通路といわず、てすりの上にもおびただしい数が設置されている。

八角堂のほうから本堂を見たら二階に人影が見えた。
思わず、
「なにこの本堂! 二階があるじゃん!? 登りたいっ!」
とお坊さんにお願いしていた。
えー、とっさにこれを英語で言えるほど語学力はないのでモロに日本語だったのだが、思いは伝わったみたいだ。

「しょーがないな、ココから登っていいヨ」
また本堂に戻って今度は奥の方に連れて行かれる。
本堂のお釈迦さまの祀られているところの横に、見えない角度で狭い通路があったのだ。
こういう隠し通路はワクワクする。

さすがにこれ以上は変な日本人に付き合いきれないと思ったのか、お坊さんは「夜の6時からお祭りが始まるから、また来るんだヨ」と言い残して戻って行った。
ここからは自由に参詣できることになった。

二階からみた回廊。
二階(屋上)の床は工事現場のような感じでコンクリ片が散乱していたり、ゴミが捨ててあったりで、荒れた状況だった。
普通の感覚で言えば、裸足で歩き回りたい場所ではない。

それでも、二階には小さな祠がいくつかあり、ジオラマが祀られていた。
誰がこのジオラマを見るんだろう。

一階に戻る。
この本堂はロの字状に二重の通路があり、中央は雛壇状になっている。通路はこの雛壇の前と裏を巡回できるようになっている。
この通路を一回りしてみる。なぜお坊さんはこの通路を案内してくれなかったのだろう。

これが日本だったら、この巡礼空間だけで見に行ってしまうんだが。

建物の平面は正方形で、その4面にそれぞれ仏陀のジオラマがあった。

これなんだろ?
こういう拝み方があるのか。

外周にはまったりしすぎている信徒も。
夕方から始まる祭りに備えて、いまのうちに寝ておこうということか。

寺の住人の住居と思われる小部屋が池の上に作られていた。
見ていると、窓から残飯を投げ捨てている。池の水はあまり清潔とはいえないようだ。

寺の裏手に空き地があり、そこには移動式の遊園地が来ていた。

これはたぶんサルが自転車の曲乗りをするサーカスの小屋だろう。

移動式の観覧車。
日本で見る観覧車と違って、ゴンドラにすべて人を乗せてからけっこうなスピードで回転する。どちらかといえば絶叫系の乗物だ。

小型メリーゴーランド。
たぶん動力はなく、人力で回す。

鐘楼。
本サイトでは、二階建ての鐘つき堂を「鐘楼」、平屋の鐘つき堂を「鐘堂」と呼んで区別している。
これは明らかに二階建てなのだが、二階に仏陀がいて、鐘は一階部分にある。二階ということなので、「鐘楼」とした。日本でこの形式は見たことがない。

境内をひと回りして、入口のほうに戻ってきた。
ここは寺務所、兼、庫裏ではないかと思う。

薄暗い中廊下の両側に部屋が続いていた。
この日は結局、夕方になる前にホテルに戻って、疲れていたので灯明祭りは観にこなかった。
あとで聞いたところでは、この祭りは1年に1回だけだという。出直せばよかったな。
(2014年01月26日訪問)