前橋神明宮。
市内では「神明さま」などと呼ばれている。
前橋城の城郭の北縁の鬼門にあたる場所にある。
境内には池があり、中島には銭洗弁天の岩屋があるという、前橋市街地ではちょっと面白い神社だ。
境内には神明社、稲荷社の二つの神社があり、参道、鳥居もそれそれ別になっている。
正門から入ると参道が途中で分かれる。ここを右に入れば神明社へと至る。まっすぐ進めば稲荷社の参道である。
神明社参道の左手には池があり、中島へ渡るための朱の反り橋がかけられている。
境内にあるにしてはけっこう立派な池だ。
水はどこから来るのだろう。
中島には築山があり、人が入れないような小さな洞窟が作られている。
こういうお楽しみ系の参詣装置、好きだなあ。
銭洗弁天の洞窟からは常時水が流れ出ている。
水垢が繁茂していないので、これは池の水をポンプアップしているのではなく、井戸水を直接ここから流しているのではないだろうか。
中島は裏側に回り込むことができ、裏側にも橋がある。この橋を進めば稲荷社の参道へと通じている。
ここはまず神明社のほうへと戻ろう。
神明社の参道の途中には、石橋の反り橋がある。
昔はこの橋の下を水が流れたのかもしれない。
だとすれば、この池はもともとは湧水池だったのか。
神明社の水盤舎。
かまぼこ状の
この地は古くから神明山といわれ、太田道灌がここに神社を創立したという伝説がある。
神明社は拝殿も切妻平入りでいかにも神明社っぽい作り。
神明社の本殿。
末社の猿田彦神社。
神明社の横には猿田彦大神の碑。
小さいほうも猿田彦大神だった。
左から、雷電神社、菅原神社、三峰神社。
続いて、稲荷社の参道へ行ってみよう。
こちらの参道には水盤舎と社務所がある。
現在は神明社が主で稲荷社が付属のような扱いだが、江戸中期までは稲荷社が主だったらしく、幕末ごろから神明社が主になったそうである。
印象としては、一つの敷地に同等の神社が二つあるという感じだ。
稲荷社の拝殿は入母屋で漆喰多めの桟瓦葺き。
本殿は一間社流造。
その脇には「格納稲荷」という末社がある。
「格納」って何なのだろう。これは高校時代から気になっている末社である。ここ以外で聞いたことがない。
稲荷社の奥には、溶岩の築山の上に奥の院。
これは稲荷社系のスタンダードともいえる要素だ。
神社の裏口。
ちょうど箪笥屋横丁の入口に通じている。
神社の裏手には広瀬川が流れていて、柳橋という風情のある名前の橋がかかっている。橋のたもとにはその名前のとおりに柳の樹がある。
いま前橋市を南北に通る道は国道17号線沿いが発展しているが、戦前にはこの道のほうがお店が多くにぎやかだったという。
この界隈の旧町名は神社に由来して「神明町」といった。私の父が育った場所だった。その当時神明町の子どもたちは広瀬川でよく泳ぎ、父も泳いだという。もちろん、おぼれて亡くなる子どもも少なくなかった。
いま広瀬川で泳いだりしたらすぐに警察が飛んできて大目玉を食うことになるだろう。
(2015年12月20日訪問)