私が仕事をしているカレン州パアン(Hpa-an)からヤンゴン(Yangon)までは車で7時間かかる。そして2015年現在、ヤンゴンとカレン州の間にはまともな物流システムが存在していない。荷物をやり取りするには、チャーターしたトラックや自分の車で運ぶか、バス停で長距離バスの貨物室に荷物を預けて送り、目的地のバス停で人を待機させて受け取るというアクロバットが必要である。さらにヤンゴン税関はおよそ法治国家とは思えない仕事ぶりなので、日本とカレン州とのあいだで荷物をやりとりするのは、よほどの段取りと根回しがないとほぼ無理だ。
いっぽう、パアンからタイ国境の町ミャワディ(Myawaddy)までは車で3時間半。国境を越えたタイ側にはメソートという町がある。メソートはパアンから最も近い外国であり、と同時に、最も近い「正常な」町でもある。たとえば国際郵便とか国際宅配便のサービス網で普通に送ったり受け取ったりできるのである。さらにミャワディ税関は通関もしやすいという。
日本とカレン州でのビジネスを考えたとき、一度ミャワディを見ておいたほうがよいだろうという現地スタッフの勧めもあり、ミャワディ行きとなったのである。
チョンドウの町。この町から、カレン州コーカレイ郡区となる。
以前、パアン郡区の外れまでは来たことがあったが、コーカレイ郡区に入るのは初めて。
この写真のあたりは多少ましだが、相変わらず路肩が悪い。道幅が充分でないと、遅い農作業車や黒煙を吐くオンボロトラックなどがいると追い越しも掛けられず、運転手もイライラ。
続いて、コーカレイの町へ行くのかと思っていたら、コーカレイ付近ではバイパスが完成しており、まったく町の中に入らずに通過。
ここからは先はドーナ山脈という山岳地帯で、まだ開通してから1年たっていない新しいバイパス道路となる。タイの会社が日本の重機を使って施工したという路面は、ヤンゴンでもちょっとあり得ないくらいのきれいな舗装がされている。
以前、コーカレイ⇔ミャワディの間は1車線の未舗装の峠道だった。1車線しかないため、日替わりの交互通行のうえ、悪路でスタックした車や故障したトラックなどがあると大混乱する峠道だったという。峠道といってもヒマラヤ山脈みたいなところを越えるわけではない。浅い山地で、日本でいえば箱根越えよりも低いような峠である。
だがこのあたりがカレン民族同盟(KNU)の支配地域だったこともあり、なかなかインフラの整備が進まなかった。
2012年の政府と少数民族との停戦を受け、やっとこの峠にも道路を造ることができたのだ。
それにしてもこの道路の
これで完成なのだろうか。
国道は基本的に無料だが、町ごとの出入口に「町内の通過料」を払う料金所があるほか、場所によっては民兵が作った勝手料金所がある。
勝手料金所を運営しているのは、KNUの軍事部門、カレン民族同盟軍(KNLA)だろう。
コーカレイ⇔ミャワディ間の新道には、特に民兵の料金所が多い。峠の区間だけで10箇所はあったのではないか・・・。ひどいところになると、一つの料金所から次の料金所が見えるというありさまなのである。
一つ一つの通過料は100円ほど。でも料金所が10箇所あれば往復で2,000円かかることになり、所得が日本と10倍以上ちがうミャンマー人にとってはかなりの負担感となる。
こういうとき、効果を発揮するのがフロントガラスに貼られたKNU(カレン民族同盟)ステッカーだったのだ。
料金所に止まるごとに、
「オレらKNUだから! いまKNUの仕事でミャワディ行くとこだから!」
とか言ってタダで通過していた。便利なステッカーだな。もっとも他の武装グループが支配する地域を通過するときはそれがアダになる諸刃の剣なのだが・・・。
なんかやけに道路がかすんでいると思ったら、山火事か?
「あれはKNUが森を開墾するのに、火をつけたのかもな。 このへんはまだ政府の力が弱いから、KNUが好きに土地を手に入れることができる。あのあと象を使って開墾するんだ。」
みたいなことを言っていた・・・そういう国、もうアジアにはここしかないのではないか。
幾多の勝手料金所を通り、やっと峠を越えた。
KNLAは、映画『ランボー最後の戦場』のラストで、ビルマ政府軍相手に苦戦するランボーを援護してくる頼りになる反乱軍だが、こうして小銭を稼いでいるのだ。
峠を越え、広々とした景色の場所に出た。
もうミャワディの町も近いのだろう。
とてもカレン州とは思えないような、近代的な風景。
税関の門が見える。
この門は国道に2箇所造られており、そのあいだに税関があるのだ。
国道にはバリケードが置かれ、道の左右にある税関の検問所へ入らなければならない。
これが税関の検問所。
車に乗ったまま敷地に入る。
トラックは積み荷をチェックされるようだが、乗用車は特にこまかいチェックなどもなく、いとも簡単に通過できた。
通関して2つ目の門をくぐれば、その先がミャワディの町である。
つまり、ミャンマーの税関はミャワディの町よりパアン寄りにあるわけで、タイ側からみるとミャワディの町までは自由に交易できる経済特区のような扱いになっている。タイ側からはビザ無しでミャワディの町に入ることもできるという。
ミャワディの町に入った。
きれいな建物が多く、ミャンマーにしてはやけにさっぱりとした清潔感のある町並み。
ヤンゴン近郊の町よりもずっと垢抜けた感じだ。
国境の町というと、看板にもタイ語が目立つかと思ったが、ほぼビルマ語のみだった。
Asian Highway 1の道路標識。
この道の起点は、東京の日本橋である。
国道は大きな門で行き止まりになっていた。
ここがタイとの国境だ。
タイ側へ出稼ぎに行くミャンマー人なのか、出国ゲートに列ができていた。
ここから歩いてタイに入ることができるのだ。
外国人もタイ側に日帰りで出国できるらしい。ちょっと行ってみたい気もするが、仕事の契約上、他国への出国はできないのでここまでだ。
国境にはムーイ川という川があるため、橋がかかっている。
ミャンマーは車両は右側通行だが、タイは左側通行。
車はこの橋の上で車線が入れ替わる。
この橋を渡ったところは外国なのである。
国境のムーイ川というのが、すごく小さな川だ。
東京でいえば野川くらいの感じ。
向こう岸はすぐそこに見える。
そしてびっくりするのが、橋のすぐ下に渡し舟があり、公然と人々が行き来しているのである。
当然、パスポートもビザもない密入国、密出国である。
まあミャンマーだし、こういうのもあるんだろうとは思う。でも正規の国境のすぐ横で勝手に出入りしているというのはさすが。
もう少しさ、見えないところでやらないか普通。
渡し賃も払えない場合は、泳いで出国すればいいみたいだ。
いろいろとユルそうな国境なので、いまなら確かにヤンゴンよりも便利なのだろう。
タイとの国境は2020年10月に郊外の第二友好橋が新たにオープンしている。
(2015年04月20日訪問)