四国八十八番霊場は徳島県を起点に、四国を時計回りにひとまわりするようになっている。「
これから紹介する大御和神社は、十五番と十六番のあいだの遍路道にある神社だ。この神社は遍路道が折れ曲がる角のところにある。
この神社の瑞垣には石製の灯籠が並んでいる。
竿のところを見ると「皇紀二千六百年記念」と書かれている。
西暦でいうと1940年。このとき国を挙げて記念行事が行なわれた。日本は日中戦争中、アメリカとの開戦前夜というような時代。神道を精神的な柱として国民を全体主義に染めていくためのイベントだったといってもいいだろう。
いまでも神社に行くとよくこうした記念物が残っているのを見かける。
きょうは4月20日、取り立てて何かの祭りの日というわけではないが、参道にたこ焼きの屋台が出ていた。
私はというと、きょうは石井町にあったというい広栄座という芝居小屋の場所を探しにきているのだ。
でも神社やお寺があれば、参詣はしていく。
境内に入るとまず右側に大きな池がある。
よく末社の厳島神社や弁天宮などが池の中の小島に設置されることがあるが、これはそういうレベルではない。深さも2mくらいあり巨大なプールのような感じ。ただしなぜか水は張られていなかった。
島にある末社は、扁額を見ると「江之島神社」とあった。たぶん弁天宮ということなのだろう。
池の前には水盤舎。
社務所。
こけら葺きの贅沢な建築。
その隣は神輿庫か。
その隣には小さな末社がふたつ。
そのいっぽうは、石井や鴨島方面でよく見る洗い出しのコンクリ造の祠だった。
こちらの灯籠も洗い出し仕上げ。
桟や垂木、懸魚の樽の口(懸魚の棒)まで洗い出しで作られている。すごいこだわりだ。これを作った職人は何者なんだろう。
「皇紀二千五百九十七年」と書かれたトラ像。
どうやら誰かが叙勲したのを記念して奉納したもののようだ。
「皇統二千六百年記念」と書かれた石造物。
笠があるので石灯籠の竿のようにも見えるが、どうも元々の笠ではないような気がする。以前は砲弾が掲げられていたものを、戦時中供出したか、終戦時に隠したのではなかろうか。
「肇国精神洽八紘 紀元二千六百年記念事塔」なるもの。
読み方は「
この神社は戦前には威勢のいいことを言う人たちのよりどころだったのだろうな。
拝殿は千鳥破風、唐破風向拝つきの入母屋、行基瓦葺きの建築。四方吹き放ちで、内部は絵馬殿にもなっている。
絵馬。
因幡の白兎と相生の松だろうか。
拝殿の背後は石の間を経て本殿に接合している。
この境内にはコンクリ製の滑り台やブランコがある。
定礎などはなかったがかなり古いものではないかと想像される。
特にブランコの支柱がコンクリ製というのが気になるところ。
よく似た物件を群馬県の養気山で見たことがある。
滑り台もコンクリ製。
こちらも鉄棒と同年代のものだろう。
滑降面は洗い出し仕上げ。
戦前、とまでは言わないまでも、昭和30年くらいまではさかのぼりそうな感じがする。
境内には大きなクスノキが日陰を作っている。
(2008年04月20日訪問)