柳井市の市街を離れ、郊外の寺へとやってきた。
般若寺は室津半島(熊毛半島)の山脈の中にある山寺だ。般若姫が周防の沖で難破し、救出されたもののこの地で亡くなったという伝説がある。その供養のため用明天皇の勅願によって、姫の実家である豊後の真名野長者が建てた寺だという。
用明天皇は、皇子時代に豊後で般若姫を娶ったその人であり、聖徳太子の父親とされる人物。
山門は八脚門の仁王門。屋根は茅葺きということだが、痛んでおりビニールハウス用のシートで覆われていた。
案内板によれば鎌倉時代の建築だろうとのこと。また柱が12本ある門は珍しいとのことだが、一般的な八脚門であり別段特殊な構造ではないと思う。
柱などの風化具合を見るとたしかにそれなりに古そうではあるが、鎌倉は言い過ぎでは?という感じ。江戸初期か、もし行っても室町くらいじゃなかろうか。
山門は参道に対してやや不自然な配置になっていて、参道に沿って進むと、門の横に次の妙見堂がある。
こちらも茅葺きでシートがかかっていた。
年代的には新しそう。大正時代くらいか?
妙見堂の内部。
石段を上り詰めると、観音堂がある。
この観音堂の右側には三光の窓というものがある。
太陽、北極星、月を表しているという。観音堂といいつつ、妙見菩薩の信仰の要素が感じられる。
この寺には神社としての妙見社がかつてあったが、廃仏毀釈時に破却されてしまった。その性質を仏教側の建築に取り入れて建てたのではないだろうか。
その横にある鐘堂。
梵鐘は県文。
駐車場へ戻ってきた。
伽藍配置図があるのだが、イラスト内で方向が歪曲されていてわかりにくい。
この朱塗りの橋を渡った先に本堂や本坊があるようだ。
よく見ると仁王門から石段を降りて行くと、般若姫供養塔、龍神池などが書かれている。
あとで行くとして、先に本堂へ参ろう。
本堂は入母屋妻入りの建物。
比較的新しい建物。
本堂の中には仁王門の中にあった像が避難していた。
こちらは吽形。
本堂から本坊へは回廊で接続している。
本坊はひっそりとしていた。
龍神池を見るために仁王門のほうへ戻って来たが、伽藍配置図を見るとここを降りるより、車で参道の入口までいって登り返したほうが楽そう。
車で移動して、龍神池へ来てみた。
聖徳太子が異母の供養のためこの寺を訪れ、水に困っているのを聞き、馬の鞭で地面を突いたら泉になったという伝説があるという。
うっそうとした森の中の池で、神秘的な池だった。
しまった、般若姫の供養塔見忘れた。池の写真の右上の瑞垣のところがそう。
なまけて逆方向から行ったのがいけなかったな・・・。
(2003年09月03日訪問)