洞春寺

毛利家の菩提寺、仏殿がある。

(山口県山口市水の上町)

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洞春寺(とうしゅんじ)。元は毛利輝元が創建した寺で、毛利家の移封にともなって点々とし、最終的に明治2年にこの地に移ったというような歴史を持つという。この地には国清寺という寺があり、総門はこの国清寺の門とのこと。

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室町時代の建築で、国重文。

妻飾りの板蟇股がいかにも古そうな要素だ。

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総門から100mほどの山門を進むと、山門がある。

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山門は棟門。

棟門は中門や通用門などのサブの門に使われるのが普通であり、寺のメインの門(=山門)が棟門というのは珍しい。

まして総門が格式のある四脚門であれば、山門は少なくとも楼門ではないとバランスが悪い。このあたりは、他の寺の場所に移転してきたというこの寺の来歴のせいだろうか。

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山門の横には通用門の1間1戸の鐘楼門があった。

こちらを境内のセンターに置いてもよかったのではと思われる。

鐘楼門の前には野村美術館。鐘楼門の横には蔵がある。

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本堂は方丈型式で屋根は(しころ)屋根。

錣屋根とは入母屋屋根の母屋部分に段差というか、折れ曲がりの線がある屋根の架構方法をいう。

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本堂の左手には仏殿。これも唐様で、禅宗の意匠だ。

入母屋屋根、裳階付きで、当サイトでは「重層仏殿」と呼んでいるタイプ。

この仏殿はもともとこの山奥にあった大通院という寺の仏殿だったものを大正時代に移築したという。室町中期(1430)の建物で国重文。

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内部は四半敷き+須弥壇からなる本格的な仏殿様式。

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須弥壇の上の厨子は、私がジオラマ型仏龕と呼んでいるものに近い、謎の造り。

案内板には「岩屋造り厨子」と書かれていた。

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こちらにも30円のおみくじ自販機。

おみくじ自販機多いなあ。さすが女子道社のお膝元といったところか。

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仏殿の軒は化粧板軒という納めかたで、垂木を見せないように仕上げた粋な造り。

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化粧板軒に合わせるように、斗栱もシンプルに平三ツ斗のみ。

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側面に廻ってみると、前側の1間は桟唐戸になっているのだが、柱をよく見ると大きなホゾがある。

このお堂、いまは境内の隅に離れて置かれているが、かつては回廊が接続していたのではないか。

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本堂の右側には玄関。

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そのさらに右側には切妻の本格的な庫裏。

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本堂の左側にもなにかお堂がある。外観的には書院とか方丈といった感じなのだが、そうした用途の建物は庫裏や玄関と連結しているのが一般的で、このように本堂をはさんで庫裏の反対側に作られることはないと思う。

禅宗寺院で庫裏の反対側にあるのは禅堂が多いのだが、これまで山口県で見てきた例からすると、位牌堂の可能性が高い。

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境内の北半分は公園になっていて、何棟かの茶室が建っている。これらもたぶん移築してここに集められているのだろう。

茶室のひとつ、松籟亭。

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茶室への入り口に使われている棟門。

棟門は本来こんな感じに使われる簡素な門である。

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茶室のひとつ、露山堂。

毛利家が持っていた茶室で、明治以後持ち主が変わったたが、明治24年に有志が買い取ってここに移築したという。

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茶室のひとつ枕流亭。

幕末、薩摩藩と長州藩が同盟を結んだことが、倒幕への大きな転機となるのだが、その際、会談のため山口を訪れた西郷隆盛らが宿泊したのがこの建物だという。

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歴史的に重要な建物だが、拝観は無料。自由に見学できる。

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もとは豪商阿部家の離れで、現在の場所は移築。

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2階にも登ることができる。

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狭いながらも品のよい建物だ。

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公園には遊具もある。

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トリプルアーチデッキの滑り台が1対のリングラダーに挟まれるデザイン。滑り台保存館#126いわゆる「お蝶夫人台」である。

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当サイトでは徳島県鳴門市の物件を紹介している。

色以外は完全に同一であり、パッケージ化された商品なのだろう。

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公園の北のはずれは、明治以後の毛利家の墓所となっている。この石畳で拍手をすると、音が反響するという。

(2003年09月06日訪問)