もとは因幡東照宮とも呼ばれていたらしいが、明治7年に現在の名前に改称されたという歴史がある。
鳥居は扁額の上に唐破風を載せた両部鳥居。扁額には「樗谿神社」の文字。
境内は樗谿公園という自然公園になっていて非常に広大。手前の博物館のところに大駐車場があるが、神社専用の駐車場もあるので鳥居前まで車で進むのがいいだろう。
その近いほうの駐車場からも本殿までは300mくらい歩くことになる。
駐車場から境内へ入ると、参道はクランク状に折れ曲がっていて、神門がある。構造は、袖塀付き三間一戸薬医門で、梁は5本。武家的な門である。
その門の横には茶屋。「権現茶屋」という名前。
門前町とか仲見世という感じではなく、神社の直営の茶屋ではないか。
神門を正面からみたところ。
神門をくぐると、左手に鳥取県神社庁という団体の事務所がある。「神社庁」という名前が紛らわしく、たまに行政組織と勘違いしている人がいるが、そんな行政組織が現代の日本で存在するはずがないことは明白。
ただし存在できるようにしたい人たちはいるだろう。
そこからは石畳の直線的な参道が続く。周囲は森で気持ちがいい。
季節にはホタルが見られる。
200mほど進むと参道は左に折れて、そこに八脚門の随身門がある。
随身門の前には小さな水盤舎。
随身門からはまだ50mくらいの石畳が続き、短い階段の上に拝殿が見える。
拝殿、幣殿(拝殿の後ろの凸部分)、平唐門、本殿は国重文。いずれも江戸初期の建築。
拝殿は杮葺きである。
この神社はもともと、外様大名だった鳥取池田家が徳川家への恭順を示すために東照宮を勧進したものだとされている。
そのわりに、権現造的な要素は少ない。
もっとも、必ずしも東照宮=権現造というわけではなく、日本三大東照宮のひとつとされる滝山東照宮は権現造ではなく、むしろこの樗谿神社の社殿構成とよく似ている。
平唐門の棟門と本殿。
こちらは檜皮葺き。
このように、2本の柱の上に屋根を載せた門を構造的に「棟門」という。さらに、屋根が照り起りのカーブを持っている場合は、その屋根の形状から「唐門」と呼ぶ。
唐門には唐破風が正面を向いているものと、側面に唐破風がある場合があり、正面を向いているのを「向かい唐門」、この例のように切妻の平入りになっている門を「平唐門」と呼ぶ。棟門も平唐門も構造上の名前である。
本殿は瑞垣はあるものの、比較的近くで観察できる。
2011年に「樗谿神社」は「鳥取東照宮」と改名された。
(2005年05月03日訪問)