華蔵寺・薬師堂

参道途中にある石造の不動尊が見もの。

(島根県松江市枕木町)

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きょう最初のお寺、華蔵寺。

島根半島の東半分にある、枕木山の山頂付近にある山寺だ。宗派は臨済宗南禅寺派。寺のある場所の標高は420mほどあり、近くには人家もない山奥になる。

きのうからこんな山寺が続いている。ご当地の名刹にはこんな立地が多いのだろうか。

伽藍配置図は下図のごとし。

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境内の入口には地蔵堂と称する堂がある。

松江藩のお抱えの指物師、小林如泥(じょでい)が建てたという。

全体の様子は、茶堂のような茶堂でないような、形容しにくい造り。

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内部。

休憩用のベンチになっているが、こういうお堂はあまり見たことがない。板の間になっているのが一般的だからだ。

そういえば、旅の初日に見た清水の辻堂も、茶堂のような曖昧なお堂だった。構造はまったく違うが、標準的なフォーマットから外れそうなところに共通点を感じる。

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茶堂を過ぎると、長い石段がある。

200段あるという。

でも、入口の案内板を見ると、車で境内まで行けそうだったので車で上がることにした。でも、伽藍の紹介はわかりやすいように参道から順番に書いていこう。

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石段の途中にある総門の仁王門の八脚門。

もともとは松江初代藩主、松平直政が寄進したもので、幕末に再建されたという。おそらく現在の建物は100%、幕末のものだろう。

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内部の仁王尊。

寄木造でかなり風化が進んでいるので、仁王門が建てられたときの像の可能性が高いと思う。とすれば、1655年の作ということになる。

ただ、華蔵寺全体言えることなのだが、ちょっとジメジメしているというか、湿気の多くて、木造建築物の傷みが早そうな立地だった。

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仁王門付近にある石造不動明王。

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基壇から5mくらいはありそう。かなり巨大な石仏だ。

造形も、天然石の形を残したようになっていて、ユーモラス。

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仁王門をすぎると小さな橋があり、杉井の霊泉という湧き水がある。

そこから100段ほどの石段を登ると、最初の伽藍である薬師堂エリアに出る。

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薬師堂エリアの展望台。

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中海から伯耆大山までを一望できるというが、きょうは薄曇りで、かろうじて大根島(だいこんじま)が見える程度。

このあと、大根島へ行く予定だ。

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華蔵寺はかなり紹介する内容が多いので、薬師堂エリアと本坊エリアを2ページにわけて紹介することにする。

諸堂が横並びで、境内も横に長いのは天台宗の古刹による見られる特徴だ。華蔵寺は現在は臨済宗だが、平安時代の創建時には天台宗で、鎌倉時代に改宗している。

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薬師堂は正面6間の巨大な拝殿に、宝形造の本殿が接続した凸型平面の建物。

年代的には新しく、戦後か、行っても大正時代くらいではないかと思う。

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薬師堂の宝形部分を裏側から見たところ。

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本尊の薬師如来座像は平安仏で国重文。戦国時代に兵火にかかって堂塔は全焼しているが、仏像だけは残ったもの。安産、子どもの皮膚病などを治す御利益があるという。

ただし普段は拝観はできない。

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堂内にはほかに彩色された十二神将像がある。

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こちらは江戸初期の再建時のものだろうか。

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薬師堂の横には来待石製の収蔵庫がある。もしかすると本尊の薬師如来はここに納められているのかもしれない。

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同じく、薬師堂の横にある一字一石経王塔。

おそらく、経文を小石に1文字ずつ写経したものを埋めて、その上に供養塔を建てたものだ。

石造塔としても奇妙な面白い形をしている。火袋の花頭窓の意匠が前回の旅で見た松江市内の寺、清光院の塔を思い出させる。

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同じく、薬師堂の横にある石造十六羅漢。

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タイをかかえたユニークな羅漢がある。

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薬師堂の裏手にある三間社流造りの鎮守社。

それなりに時代は行ってそう。江戸初期の再建時の建物と思う。

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薬師堂から本坊へ向かう途中にある香炉堂。

なんだか唐突な配置だ。

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境内を横に進んでいくと、本坊の山門が見えてくる。

(2005年09月03日訪問)

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